かどいの『I'm in Rock!-Ⅱ』

ある文筆業者(分泌業者ではない)の生存証明。基本的に毎日更新。

魔女・美弥 闇狩り【#2 魔法師淫祭祀】-05

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(承前)

 女が破裂した時に飛び散った血しぶきを半身に隈なく浴びた男は、面食らった表情になった。だがすぐに喜々とした笑顔に戻り、腰に絡みつく女の残骸を掴み棄てた。昨夜よりひと周り大きく見える逸物が、ゆさりと揺れる。
『少しは使えるらしいな』
 男のからだに、異変が起きた。
 からだの節々が膨れあがり、筋肉とも瘤ともつかない不規則な畝がぼこぼこと体表に盛り上がった。
 背丈もまた、伸びた。その高さ、およそ一丈。赤黒く染まった皮膚を突き破り、針金のごとき剛毛がめりめりと音を立てて生え出た。
 異常に気づいた村人がひとり、悲鳴をあげた。
 男は、いや、今や異形の本性を顕したそれは、その村人を睨んだ。途端に村人は硬直し、その場に倒れ伏した。
『こいつも、不味い』
 一瞬にして、村人の精神を喰らい尽くしたのだ。
『また喰ったね』
『ああ、喰ったとも。心を喰い尽くされれば肉体になんの傷もなくとも倒れてしまう、人とはほんに情けない生き物よの』
『情けない……確かに、そうだ。ひとは情けないほど弱い、それはよく知ってる。でもそれはあたしたちだって同じだろう』
『同じ弱い者同士だから喰わぬとでもいうのか』
『あんたの知ったこっちゃない』
 再び美弥は、指先から力を迸らせた。
 だが、それとほぼ同時に、異形もまた同様の力を放っていた。両者の真ん中でぶつかった力は、四散して周囲に広がった。
 その力をまともに受けた村人のからだは、細切れになって千切れ飛んだ。
 まともにはくらわなかった者も、吹き飛ばされ木に叩きつけられて絶命したり、運の良い者でも脚や腕を折っていた。
『おやおや、大した乱暴者だ。喰わなければ殺してもよいということか』
『どう思ったっていいさ。あたしはあたしの信じているひととの約束を守るだけのこと』
『ふむ。それはそれで、よい考え方だ。だが戦い方は褒められたものではないな。こういう力は、我らには大した役に立たぬことは知っておろうに』
 異形は美弥を睨みつけた。
 その瞬間、美弥は闇に投げ込まれたような感覚を覚えた。
 からだの重みが失われた、不愉快な浮遊感。
(しまった、奴の心に囚われた!)
 美弥は焦った。
 焦る気持ちに、異形が語りかけてくる。
『こうして相手の心を捕らまえて、心を喰う。それが我らのあるべき戦い方であろうが』
 美弥は──正確には異形に囚われた美弥の心は、出口を求めてもがいた。この檻から逃れられなければ、美弥の心は喰われてしまう。そして美弥は消え去ることになる。
(知っていたはずなのに……迂闊だった。見知らぬ鬼と真っ向勝負するのは初めてだから、なんてのは……申し開きにもなりゃしない……)
『なんと、同族とは初めてか。ならば不慣れも仕方あるまいが、どの道、心だけ人のままなどという半端者でいたことがいかんのだ。からだが鬼のものになってしまったのなら、心もまた鬼になるべきだったのだよ、おぬしも』
 男の声が遠くに聞こえる。
 美弥はすでに、甘い痺れを感じつつあった。
(……もう、喰われ始めている……この感じは、そうだ。そしてこの感じが極まった時、あたしは、死ぬ……いや、消えてなくなる)
 心だけとなり、感覚器としての肉体は失われているはずなのに、美弥は、性の交わりのそれと酷似した強烈な快感を、はっきり感じていた。心を喰われることは、なぜかそんな奇妙に生々しい肉体の感覚を伴うのだった。
(あの時……初めて鬼に遭った時にも、これを感じた。でもあの時は、あたしは助かったんだ。どうして……だったかな、どうして。あの時は……気がついたら逆に、あたしが鬼の心を喰い始めていた)
 美弥は押し寄せてくる快感に抗いながら、なにかを捜していた。
(なにかがあった……なにかが、あの時。なにがある? なにを見つければいい?……あたしの外? それとも内側?)
 美弥の心がもがく。すでに快感は、意識を濁らせるほどに膨れてきている。
(……そうだ、内側だった! どこ?……これだ!!)
 自分の裡に秘められている、大きななにか。それを捉えた時、美弥はそれにしがみつき、声をあげていた。
 それは鬨の声ではなく、かといって快哉でもなかった。悲嘆の泣き声でも激怒の咆哮でもなかった。どんな声にも似ず、大声ですらなかった。ただ虚ろな、けれどどこまでも届く声だった。
 その声に弾かれたように、美弥を捕らえていた異形が吹き飛び、倒れた。
 同時に美弥は呪縛から逃れ、自身の“肉体”の本来の感覚を取り戻していた。
『今度は、あたしの番だね』
 倒れ、怯えた顔になった異形を、美弥は睨みつけた。異形が悲鳴をあげる。
『何者だ、ぬし! なぜそんな強力なものをもっている。ぬしの中になにがあるというのだ、なにがそんなに大きく膨らんでいるというのだ、ぬしの心の中で!』
『うるさい』
 美弥の心が敵の心を捕らえた。
 意識の奥に、黒くもやもやとしたものの姿が浮かぶ。
 美弥は心象の中でそれを引き千切り、ひと切れずつを口に運んでは呑み込んだ。
 目前の異形──鬼の姿をしたかたちあるもの──が、がくがくと震え始めた。その顔に、おぞましくもどこか可愛げのある笑みが浮かんでいる。
 その姿が次第に、色味を失い始めた。
 派手な色から順に褪せ、やがて彩りがまったく無くなると、次には質感が失われてゆく。肉の生々しさ、剛毛の猛々しさが一様の均質となり、無味乾燥なつくりものになる。それが行ききった時、全体は力のないうすぼんやりとしたものとなり、ついには透け始めた。
 すでに震えは鎮まり、鬼はただ緩慢に身をよじるばかりだ。そしてそのからだの向こうには、地面がうっすらと見える。その地面がどんどんくっきり見えるようになり、鬼の姿は文字通りに消えてゆく。
(……肉のからだをもたない鬼というもの……失われる時には、こうして霞のように消えてしまう。本当に消えてしまう)
 心の中で咀嚼と嚥下を繰り返しつつ、美弥は、今やほとんど見えなくなった鬼の姿を、ぼんやりと眺めていた。
(そしてきっといつかは、あたしも……)

 不遇の帝の崩御が片田舎でも噂され始める頃、名もない荘の小さな村が、突然離散した。
 甲斐のない領主に愛想を尽かし、揃って逃亡を企てたに違いないと噂されたが、その真偽のほどは定かではない。
 後日、その村のこどもだったと自らを称した不具の無宿者が言うのには、村に鬼が訪れ人心を惑わせた挙げ句、係わった人々のほとんどを殺してしまったのだとか。
 彼のように生き残った者も幾人かあったが、全員が彼と同様からだのどこかを損ない、また幾人かは気も違わせて、彼以外はすでにみな野垂れ死んだともいう。
 もっともその無宿者も気がふれていたとはもっぱらの評判で、誰もそのことばをまともに受け取ろうとはしなかった。
 無宿者はいつの間にか人々の前から姿を消し、その末期を知る者はいない。

(了/この一連の項は1998年に雑誌掲載された作品に加筆修正したものです)