かどいの『I'm in Rock!-Ⅱ』

ある文筆業者(分泌業者ではない)の生存証明。基本的に毎日更新。

魔少女・由衣 闇狩り【#6】闇狩り−01

(承前)

 由衣が美弥とともにドーナツ屋に通い始めて、もう三日めになる。
 今日もふたりはコーヒーだけをテーブルに乗せ、言葉も交わさずに、ただひたすら“波長”を探していた。
 由衣はいつも通りの、白のポロとキュロット姿。美弥もまたいつも通りの、黒い、どことなく野暮ったいワンピース。
 このふたりの取り合わせは、どう見ても奇妙なもののはずだが、何が起きてもおかしくないこの街では、取り立てて注目する者もいない。
 昨日は朝の十時から夕方の六時まで、コーヒー一杯ずつで粘った。今日は十一時前から、もう三時間ほどもこの店で過ごしている。
『胸騒ぎがするんだ。あの街で近々に、何かをやらかす奴が出そうだって胸騒ぎがね。……何が起きるかも、何ができるかもわからないくせにさ、行かずには、いられない』
 美弥のその言葉だけが、日参の理由だった。
 だが由衣には、それだけで充分だった。
 由衣には今、自分が何をするべきか、わからない。いやそれ以前に、何ができるのか、何をしていいのかさえ、わからない。
 だから美弥が、やることの具体性、方向性を与えてくれることが嬉しかった。それに美弥の、『わからなくても、しようとせずにはいられない』というあり方にも、惹かれていた。
(私もこれぐらい、しっかりしたひとになれるのかな)
 由衣は、相変わらず瞑想の姿勢で耳を澄ます美弥を見て思いながら、すっかり冷めてしまったコーヒーのカップを手にとった。
 美弥は、どんないきさつで悪魔になったのだろう。そしてその時から、どれほどの時間を、どのように、悪魔として過ごしてきたのだろう。
 ひとの寿命は長くて百年というが、それはいいところこの数十年ほどの間の話だ。かつての人生は、五十年や六十年で終わるものだったともいう。美弥の過ごしてきた時間は、どう考えてもそれよりずっと長いものに違いない。
 そして、では美弥は、その長い時間をどのように過ごしてきたのか。
 それを考えてみても、由衣には見当もつかない。ひととしての常識を越えたことは、ひととしてのキャリア、それもまだわずかなものしかもたない由衣には、わかりようもないのだった。
(それでも、その長い時間の最初の方は、美弥さんも私と同じように、ごく普通のひととして過ごしていたはずよね)
 コーヒーをひと口啜って、由衣は思う。
 それが唐突に変わってしまった時、美弥もやはり戸惑い彷徨ったのだろうか。
 もしかしたら美弥にも、美弥に会うまでの自分のように、なすすべもなくただ混乱していただけ、という頃があったのではないだろうか。美弥は、それを乗り越えて、今、に至ったのではないだろうか。
 そう思うことは、どこか美弥に対して失礼なことのようにも感じられた。でも、そう思うことは、由衣を強く励ましてくれた。
 自分もいつかは、なれるかもしれない。
 目の前の美弥を見ていると、その道のりが遠いものであっても、けれど、辿り着けないものではないような気がしてくるのだ。
 だから。そのためには、まず。
(ばかみたいでも、真似てみよう。そして、美弥さんのあとについていってみよう。とにかく今は、美弥さんが探してるものを、私も一緒になって探してみよう)
 由衣はそう決めたのだった。
 カップをテーブルの上に置き、美弥がしているように目を閉じて、気持ちを“聞く”能力に集中させる。耳を澄ませる。
 耳を澄ませる――そう、ふたりは“音”を探していた。
“波長”。それを説明する時に、美弥が使った言葉だ。
 このところ、寝物語代わりというわけでもないのだろうが、美弥は夜毎、悪魔の力を由衣に教えてくれている。その中で最初に聞かされたのが、波長についてのことだった。
『あたしたちはどうやら、自分でも知らないうちに、同族にだけわかる音を出してるみたいなんだ。特にそれは、力を使ってる時に出やすい。そしてその音は、ひとりずつ違う“波長”をもってるのさ。あの音は誰の音、ってのが、聞けばわかるんだ。
 まあ、においみたいなもんかね。動物とかってのは、ナワバリを周りに知らせるのに、自分のにおいを使うだろ? あれと同じようなもんさ。あんたが聞いてた耳鳴りってのが、多分、それだよ』
 遠くにいれば小さく、近くならより大きく。
 普段には、ごく近くにいても聞こうとしなければ聞こえない程度に小さなものだが、自分が“耳”を澄ませば――それを聞く能力に意識を集中すれば、聞こえるようになる。
 また、相手が悪魔としての力を使っている時や、相応の感情の起伏がある時などには、勝手に耳に飛び込んでくるほど大きくなる。
 力を使っている時のそれは、無機的に増幅される。激しい感情の起伏がある時には、音の質もわずかに変わる。苛立ちや怒りがある時には金属質の硬い音に、和んでいたり喜んでいたりする時には柔らかな音になるというのだ。その辺りは、ひとがまとっている雰囲気と呼べるものと同じ、といえるのかもしれない。
 いずれにしろ悪魔たちは、同族が近くにいるということ、どんな気分でいるかということが、ある程度離れていても、互いにわかるということだ。後は聞く能力の良し悪しで、聞き分けられるニュアンスや距離が変わってくる。
 こうしたレクチャーを受けるうち、由衣にはいくつか納得のいったことがあった。
 まず由衣が、あの女――犯されていた女の悲鳴を聞いた理由。
『迷って考え込むほどに心の表側に持ち上がってることは、簡単に読める』という。ならば、強い恐怖に突き動かされていたあの時の彼女の心の悲鳴は、充分に読めるレベルにまで、いやわざわざ読もうとしなくても聞こえてしまうレベルにまで、高まっていたのだろう。それが由衣の、心を読む力に届いたのだ。
 また、その時になぜ美弥が現れたかの理由。
 あの時もこうして耳を澄ませていたのなら、美弥には由衣の、あの店を探して知らないうちに能力を使った時の波長が、筒抜けだったということになる。美弥はそれを追いかけて、あの店まで来たわけだ。
 だが、相変わらず解けない疑問もあった。
 あの黒い男がいっていたこと――“仲間を狩る奴がいる”ということ。平然とそれに、『あたしだ』と答えた美弥。
 狩る、って、どういうことなんだろう。なんでそんなこと、するんだろう。
 確かに、ひとの常識から考えれば、その心を喰って殺してしまう悪魔は、由衣自身を含めて、狩られるべき対象なのだろう。だが、美弥のように悪魔としてのからだに馴染み、おそらくもはや悪魔から狙われ喰われることもなくなったはずの者に、なぜ敢えて同族を狩る必要があるのだろうか。
 誰か、特定のひとを守りたいというのなら、由衣にもわからなくはない。けれど由衣には、美弥がそういう相手をもっているようには、どうも思えなかった。
 かといって、人間というものすべて、そんな漠然としたものを守ろうとしているわけでもなさそうだ。
“狩る”ということ――同族と戦い倒すこと、それが具体的にどんな風に行われることなのかは、由衣にはまだわからない。けれど、自身と同等かそれ以上の力をもつ者を狩るということが、生半可なことではないだろうことぐらいは、想像がつく。
 それに美弥は、こんなことも言っていた。
『聞く力、それだって悪魔の力だ。だから、あたしがこうして聞き耳をたてている時は、誰かがそれに気づいてる。それも一応、狙い目なんだ』
 つまり、自身を囮にしての悪魔探し。ただ相手を探すだけではなく、同時に自分の存在もアピールするのが、美弥のドーナツ屋参りだというのだ。
 自身を囮にしているのなら、不意打ちの類は無理だろう。それでいて実力は同等。となれば“狩り”は、常に美弥自身の危険と隣り合わせの、かなりきつい作業になっているはずだ。
 なのに美弥は、狩るという。
 何か、それほどに大きな理由が、美弥にはあるのだろうか。ないはずはない。ないはずはないのに、それが何であるのか、由衣にはわからない。教えてももらえない。
 あの男が狩りのことを知っていたのも、由衣には気掛かりだった。
 悪魔たちにも、悪魔たちなりのコミュニティのようなものがあり、その中で狩人の存在が取り沙汰されている、ということなのだろうか。
 だとすると美弥のしていることは、個が集団に挑むことでもある。それは、狩ること自体より、よほど危険なことなのではないのだろうか。
 悪いことかもしれないと思いながら、由衣は、美弥に教えられた方法で、美弥の心の中を読んでみようともした。だが美弥は、そのことについては強く心を閉ざしているらしく、読み取ろうとしても弾き返される感じがあった。逆に読み取ろうとしたことを悟られ、
『こら少女。あたしの頭ン中を覗こうなんて、十年、いや百年ばかり早いぞ』
 とたしなめられてしまった。
 たしなめてから美弥は、不安げな由衣に、あの笑顔――童女めいてますます美弥の年齢をわからなくする笑顔を見せて、言った。
『あんたにゃ巻き添えくわせるみたいで申し訳ないが、けれど、どうせ長いいのちなんだ。少しぐらい寄り道するのも、悪かないだろ』
 確かに、寄り道は悪くない。というよりも、本道がわからない今は、どんな道であれ寄り道とはいえない。自分でやるべきことがわからない今は、与えられたことをやるしかないのだ。
 そして由衣は、美弥とともに、同族の“波長”を探しているのだった。
 見つけた後のことは考えず、とにかく、探す。
 由衣は、見つかった時には、美弥のことが少しわかるのではないか、と思っていた。
 それに、見つかった時にはもしかしたら、自分がやるべきことも見つかるのかもしれない、とも。
 そして由衣は、美弥に従い“波長”を探しているのだった。

(続く)