かどいの『I'm in Rock!-Ⅱ』

ある文筆業者(分泌業者ではない)の生存証明。基本的に毎日更新。

ティガのおばあちゃん(第17話『赤と青の戦い』雑感/ネタバレ含む)

ウルトラマンティガ』はウルトラへの愛で満ちている。

 実際のところ、当時までにウルトラシリーズのフォーマットというものは確立していたわけで、ひとつのエピソードの構築自体は『ウルトラマン』『ウルトラセブン』の二作で完成していたといってもいいと思う。
 いや、それら二作品だって、分類してゆけば十種程度のパターンの繰り返しといえないこともない。ディティールは変えても本質的には変わらないといっていい部分がある。
 もっともこれを煎じ詰めてゆけば、たいがい神話の類へ行き着いてしまう。神話の段階で、物語の構築はおよそできているといってもいいようだ。まあ人間のすることだものな。あまりブッ飛んでもな。ことにそれがエンタテインメントともなれば、選び得るバリエーションはどうしたって少ない。
 ティガは、スタッフがウルトラのフォーマットを熟知している、ということを大前提に制作がおこなわれたとおぼしい。
 だから安定感がある。
 それだけでなく、過去のウルトラで試されたさまざまな要素や、提起された幾多の問題に、ティガのスタッフとしての“回答”を準備してから製作に当たった節がある。
 だからティガには、過去作へのオマージュや、同じ問題に対する彼らの姿勢がはっきり現れた作品が多い。知って見る身には「そうきたか!」と頷いたり腕組みしたりしてしまう瞬間が多々ある。
 それをひとことでいうと、ウルトラへの愛、になるわけだ。
 第十七話『赤と青の戦い』は、そういうウルトラ愛の、あるいは典型的集約ともいえる作品になっていると思う。

『赤と青の戦い』は、スタンデル星からやってきたふたりの異星人たちが巻き起こす騒動を描く。
 スタンデル星には二種の住人がある。夜行性のものたちと昼行性のものたちだ。
 この二種の違いは単なる好みとか傾向という類のものではない。“日光”に対する生物的な特性が根本的に違っているらしい。青色夜型は強い光の下では生きられず、赤色昼型は暗闇ではほとんどなにもできない。
 なので従来はきれいに棲み分けをしてきていたが、最近の青色夜型はどうも過激派になってしまったようだ。明るい場所じゃあどうせなにもできなかろうに、昼間の“世界”も寄越せ、と赤色昼型に迫ったという。
 赤色はこれを受けて立ち、じゃあ力ずくで結着をつけようという話になったものの、困ったことに両者が対等に戦える条件がない。
 そこで明るかろうが暗かろうが戦える“戦士”をよその星から連れてきて代理で戦争をさせようということになり、赤も青もそのための奴隷を求めて地球へやってきた。
 で、ひと悶着もふた悶着も起きるわけだ。

 さて赤色昼型スタンデル人のレドル(これ個人名ね)は、地球への到着早々青色夜型スタンデル人のアボルバス(これも個人名)に攻撃され、大怪我をしたらしい。
 それを助けたのが、夫も息子も失ったと思しい老婦人。
 老婦人は独り暮らしの家にレドルを連れ込んで休ませる。それだけじゃなく、説教までする。乱暴はダメ! と、宇宙人を叱りつけちゃうのだ。
 おばあちゃん、ブッ飛んでいる……だろうか。
 俺はそうは思わない。
 自分自身が子持ちとなり、かつ老いてきたら、いろんな垣根が低くなってきた。若い頃にはできなかったことが、できるようになってきた。
 といっても、別に恥知らずになったわけじゃない。と思う。
 なんというか、愛が身近になって、また愛は(若い頃に感じていたような)照れたり恥じたりするべき類のものではないと理解するようになってきた、らしい。
 こどもが公園で遊んでいる。それだけでうれしい。その光景がいとしい。そう思うこころを隠す必要を感じない。若者が照れる気持ちはわかるが、しかしそれは照れる必要のない感情なのだ。そう思うようになった。
 さらに老いたら、もっとそう思うようになりそうだ。
 レドルを家に招じ入れたおばあちゃんは、きっとそういう道の大いなる先達なのだろう。まして彼女は、家族を失っているらしい。その哀しみや痛みがどれほどのものであったことか。
 それを越えて今も生きている彼女は、それゆえに、多くのいのちを愛でているのではないかと思うのだ。たとえそのいのちが、自分との直接のかかわりがないものでも。
 それは異星人が相手でも同じだ。
 だから彼女は言う、乱暴はダメだと。乱暴はいのちを傷つける。それはよくないことなのだ、と。

 その老婦人に諭され(というよりは叱られ)、レドルは自分の任務、つまり戦士をかき集めること自体への根本的な疑念を抱いたようだ。任務を放棄しちゃうのである。
 一方、アボルバスは積極的に人間狩りを進める。そこにわれらが GUTS が介入し、やがてはティガも登場して……という展開。

 これは公式の情報によれば、『ウルトラマン』第十九話『悪魔はふたたび』をモチーフにしたものらしい。
『悪魔はふたたび』は、地球で太古に文明を営んだ存在(現在の人類とはまったく別の種の“地球人”)が封印した二頭の“悪魔”=怪獣たちが復活し、現代の日本を荒し回るという話。代々木の(旧)国立競技場が散々に破壊される。
 ここで登場する二頭が、青色発泡怪獣アボラスと赤色火炎怪獣バニラ。アボラスは泡を吹くのでアブクから、バニラは赤いので当初は“ベニラ”だったらしい。なので青色夜型スタンデル人の名がアボルバス。レドルは当然レッドからきていて、つまりベニだろう。
 光に弱い種族と光を望む種族の抗争という点、またそれが光に弱い者から仕掛けられるという点には、第二十二話『地上破壊工作』そのままという印象がある。
 だがティガの物語は、ウルトラマンからの換骨奪胎だけではおさまらない。

 おばあちゃんが起居する家では、時が止まっている。
 家族のいないおばあちゃんは、自分の周囲を充実させる必要を感じなくなったのだろう。未だにテレビはブラウン管だし、畳の部屋には仏壇と炬燵がある。フラット画面の大型テレビとか床下暖房の導入とか、全っ然考えていない。
 この炬燵におばあちゃんは、レドルを当たらせて休ませるのだ。
 こういう場面を見たら、『ウルトラセブン』第八話『狙われた街』を思い出さないわけにはゆかない。川崎の工場町に建つアパートの一室で、モロボシ・ダンメトロン星人が卓袱台を挟んで対峙する、あの場面だ。
 もちろん制作陣はそれを大いに意識していると思う。後半、巨大化したアボルバスとティガが戦う場面では、幾度か画面が止まる。キックが炸裂する瞬間に止め絵になったりする。
 これはまさに『狙われた街』で使われた手法で、なんでもメトロン星人の着ぐるみがアクションに向いておらず、でも格闘は印象的に見せたかったために、苦し紛れに採用した手法だったらしい。ティガでは、おそらく『狙われた街』へのオマージュとして採用したのだろう。もっともアボルバスも相当アクションに不向きっぽいが。
 GUTS の面々がスタンデル人たちの目論見を知った時の台詞も興味深い。
「なるほど。宇宙広しといえども、地球人ほど兵隊に向いてるやつはいないってわけか」
 切れ者リーダー・ムナカタ副隊長はさらりとそう言っている。
 これは『狙われた街』のエンディングナレーションの“遠い、遠い未来”が未だ来ていないという宣言でもあるわけで、これもまた過去作ありきの……というよりは、『狙われた街』で婉曲的に言われた人間の悪しき特徴を直接に言ったということになるだろうか。

 またこの回、アボルバスのアジトへ潜入するために GUTS 隊員たちがわざとアボルバスに攫われそうな行動を採り、まんまと攫われるという作戦が実行される。
 これは、やや強引な連想ではあるが、珍妙な作戦が頻出した『ウルトラマンタロウ』に対するオマージュではないかという気がする。
 ついでだが、その作戦のためにムナカタ副隊長らは変装をする。変装という手段は定番といえば定番だが、セブン第四十六話『ダン対セブンの決闘』を思い出させるところがある。ムナカタ副隊長が労務者風になるのは、フルハシ隊員に倣ったものかもしれない。
 そしてなにより、おばあちゃんが出自にかかわらず“ひと”と“ひと”としての関係を育み慈しむ姿は、セブン最終エピソード=第四十八〜四十九話『史上最大の侵略』全後編におけるダンとアンヌの関係を彷彿とさせる。

「アンヌ、僕はM78星雲から来たウルトラセブンなんだよ!」
「それがどうしたっていうの? ダンはダンじゃない」

 ダンの力みと悲愴をくるりと包んでしまった、アンヌのこころ。
 それが妙齢の男女であったから、セブンはああいうかたちになった。
 一方、さまざまなことを知って達観にほど近い老婦人の愛情は、ちょっと違う。
 おばあちゃんの視線は、もっと豊かで広かった。
 レドルはおばあちゃんにとって恋人ではなく夫でもなく、息子でもない。だがそれら、ごく近しいひとびとと等しく、いのちのひとつに勘定される対象だった。
 重んじ、敬い、尊ぶにふさわしい対象だった。
 だからおばあちゃんは、レドルを包み込みながら、アンヌがダンに求めたようなこと──ダンとしての地球での生を望んだりはしない。レドルはレドルとして、スタンデル星であれどこであれ、生きてゆければよいと願う。
 ただ「乱暴はいけないよ」と諭しながら、その行動を優しい目で笑って見守るだけだ。
 ああしろともこうしろとも、ああしてくれこうしてくれとも言わない望まない。
 ただいのちを大切にと願って夜空を見上げ、「そうかい、帰るのかい」といって微笑んでいるだけだ。

 アボルバスとの決着のあと、レドルが本当に母星へ帰ったのかどうかは、わからない。
 その直前にアボルバスに相当な深手を負わされている。その後、アボルバスに囚われた地球人たちの解放に成功しているが、もしかするとそれで力尽き、最期におばあちゃんを心配させまいと「帰るよ」とテレパシーで告げて、そのまま息を引き取ってしまったのかもしれない。
 この回のエンディングは、レドルの帰星宣言のあと降り出した雪で飾られる。その雪は六方結晶、そしてスタンデル人の外見上の特徴は顔の部分に六角形の発光部があること。
 あるいは、雪が降るという光景は、レドルが散ることの象徴として準備されたものなのかもしれない。
 けれどおばあちゃんは、それを追求しない。
 レドルが帰ると言ったなら、レドルは帰ったのだ。「あの子が、今、お別れを言ったよ」とにこにこしているだけだ。
 レドルを信じ、愛でている。

 たったの三十分でねえ、これだけやってくれちゃうわけですよ。
 ティガ、すげえ作品だったのでしたなあ。

 ただ、おばあちゃんが、ティガとアボルバスの決戦を見なかったのはよかったと思う。
 おばあちゃん言いそうだ「乱暴はダメ!」と。