かどいの『I'm in Rock!-Ⅱ』

ある文筆業者(分泌業者ではない)の生存証明。基本的に毎日更新。

『ウルトラマンティガ』第5話『怪獣が出てきた日』感想(なにを今さら) ※ネタバレあり

 定期的に平成のウルトラマン各種を再見するクセがついてしまった。
 といっても見るのは平成三部作(ティガ、ダイナ、ガイア)、ネクサス、メビウスの五本だが。ああ、ネクサスに併せて映画『ULTRAMAN』を観ることもあるな。一方コスモスはまず見ないし、マックスは見ても一話を途中で引き上げる程度。ニュージェネレーションズはほとんど見ない。その辺はノリが違って、見ていてワクワクしない。
 再見率が高いのはネクサス、ガイア、ティガの順になるか。
 メビウスは見始めるとツマミ食いができず、全50話を通しで観ないと気が済まなくなるのが困る。ボリュームがあり過ぎて、ふと「あーメビウス観てえな」と思っても迂闊には手を出せない。
 どうあれ、それら平成のウルトラシリーズは、何度も観たくなる魅力を備えている。

 そんなわけで今、『ウルトラマンティガ』の何度めになるかわからない鑑賞を地味に遂行中。
 あーやっぱティガいいなあ、気概と意欲に満ちているなあ。
 テレビシリーズとしては16年ぶり(Wikipediaによる)の完全新規制作。「光の国」から敢えて袂を分かち、まったくの新シリーズとして始められたティガ。“光の巨人”というヒーローになにをさせるか、どうさせるかをすべてゼロから組み立て直そうとし、やり遂げた一作。それがティガ。
 それだけに土台づくりは念入りで、最初の数話分には世界観の説明が地味に、しかし着実に組み込まれている。これを見るのがまたたのしい。

 そんなわけで今日は第五話『怪獣が出てきた日』(脚本/小中千昭 監督/川崎郷太 特技監督/北浦嗣巳)を語ってみる。
 登場するのは、“ゾンビ怪獣”シーリザー。
 こいつの死骸(としか思えない物、実際に生命反応はないとされた)が海岸に漂着するところから物語は始まる。

 まず「えっ」と思うのは、こいつの腐臭についてのくどいまでの描写だ。
 そういえば怪獣の臭気についてじっくり語られたウルトラ作品は、シーリザーまでになかったんじゃあるまいか。マガジャッパはずーっとあとだからね念のため。
 いやケムラーはどうだ、モグネズンは?……確かに毒ガス系にはそれと近い描写がないでもなかった気はするが、まずニオイから説明される怪獣っていなかったような。
 だが、いわれてみれば。
 臭うよな。多分。
 シーリザーは5万t超の腐肉の塊なわけで、その臭気は想像するだけでゾッとするが、別に腐っていなくてもニオイはあるだろう。野良犬だって場合によってはずいぶん臭うものだ。それが体長数十メートルともなれば、臭わないわけがない。
 それに怪獣は、たいがい地中や水中から現れる。となれば土や水のニオイだってするだろう。溜まった水のニオイってやつは、意外に強烈だ。沼の臭気や、海のニオイ。海のニオイなんてのは潮風で吹き抜けてゆくからいいのであって、たとえば夏場に海水をバケツに汲んできて半日ほど日向に放置したのち夜玄関にでも置いちゃったら、それはもう生臭くて辟易する。(まあ水を採取した海がどんな海かにもよるんだが)
 海からあがってきた怪獣が日に照らされ生乾きになった臭気なんて、想像するだに恐ろしい。
 そういう被害って、いわれてみればあるな。あるに違いない。

 ……と、こんな風に連想が進み、おかげでイヤでもティガ世界への感情移入度は高まる。
 これは怪獣の描かれざる特性の紹介でありつつ、世界観の紹介でもあるわけだ。ティガ世界のひとびとが自分たちと同じように生きている、そんな気がしてくる。
 余談ながら嗅覚というものは視覚や聴覚と違い、そのおおもとになる物質と感覚器官が直接触れることで機能する。つまりシーリザーの体表から放たれたニオイ物質が嗅細胞にぺたっとくっついて初めてニオイとして受け取られる。光を介する視覚、空気を介する聴覚とは違い、触覚や味覚に近い直接的な感覚なのだ。
 さらにその分析は、場合によっては遺伝子レベルの個人差で(つまり経験学習によるのではなく先天的に備える物理的な資質で)おこなわれる。意識をスルーした反応が生じているわけだ。本能とか生理に直結した感覚といえる。
 そこへの話題の提示は、文字通りリクツを越えた刺激として届いてくるという仕組み。

 続いて“市民の声”が取り上げられ、研究より処理が先という方針が固まる様子が描かれる。ここで防衛隊(GUTSとその上部組織であるTPC)がどのように活動しているかがわかる。よく知らないどこかで誰とも知れない誰かがなんのためかもわからないなにかをしているのではなく、市民と直結した活動をする機関であることが提示されるわけだ。
 ここで多用されるのが街頭インタビューの光景。
 その勝手気ままな発言はそのままわれわれの日常そのものであって、基本、ひとごとw あーこういうひとたちがTPC(ひいてはウルトラマン)が守るべき対象なのね、ってのがわかる。それってホントにわれわれそのものなのよ。今も“テレビ”で見てるだけだし。
 つまり一連の演出が、“よその世界の話”では済まされないものになっているわけだ。
 胡散臭い“評論家”の登場も効いている。いるいる、こーいうご意見番。批難に近い批判ばっかりして、ふんぞり返ってるヤツ。ますますティガ世界にシンクロ感。
 また、この回ではフリージャーナリストのオノダが初登場。狂言回しの役目を勤めるのだが、その分析力や行動力が随所に地味に織り込まれている。
 シーリザー登場前からGUTSへの隠密取材をおこなっているフシが描写され、現場への立ち入り制限をするTPCの職員とやりあっていたり、腐肉塊吊り上げ・沖合投棄作戦が功を奏さず蘇生したシーリザーが激悪臭ぶん撒きながら進撃するのを横目で見つつ惣菜パン食ってたりする。なんだこの図太い神経の持ち主は、となる。安全なところで言いたい放題の評論家・上田耕生(うえだ・こうせい)とはぜんぜん違うジャーナリストとしての根性を感じる。こいつの発言には信がおけそうだぞ、という気がしてくる。そして最後には、そのオノダのことばによって、社会におけるGUTSの存在意義が語られるのだ。当然、説得力はガチ。そのための伏線をまあこんなに緻密に張っておくなんて、芸が細かいなあ。

 そんなわけでGUTSは、まず海上まで死骸を搬送してからの焼却処分、という作戦にとりかかる。
 その処理の任務に赴くヤナセ・レナ隊員は、飛行機による5万tの吊り上げ移動という未経験のオペレーションに緊張している。ここで、「ああGUTSの隊員もオレたちと同じ人間なんだ」とさらに感情移入が進む。かつての隊員たちは、たいがいの任務に『よっしゃあ!』と意気軒昂意欲満々お気軽手軽に挑んでいたからねえ。なんか違うヒトビトという感じがしたものだよ。でもレナは違う。ダイゴの軽口につきあえないほど緊張し、でもそれに自分自身で気づいていて、それでなお任務へ向かう。
 ここで描かれる“人間”の真摯さよ。

 だがその作戦は、まさかのシーリザー存命中という事実により失敗。
 これだけでなくこの回は、予想外の事態に次々と襲われてシーリザー排除作戦が幾度も挫かれる様子が描かれる。
 その都度現場リーダーのムナカタが鋭い判断を下し、シンジョウ隊員などはムナカタの判断の的確さでからがら命を保ったりもしている。(そして上田はそれすら高みの見物でコキ下ろす)
 さてムナカタが連発する作戦、これがいちいち理に適っていて気持ちいい。怪獣の進行方向に街があることにいち早く気づいて進路を変えさせたり、表面が腐っていて物理攻撃が効きにくいからと即席巨大電子オーブンで体表を乾燥させたり。隊員たちはその遂行のため、ある者は戦闘機で空を飛びある者は根回しに奔走する。
 その根回しや手続き、“こっち”の世界なら当然必須になるものなわけで、無制限に壊しちゃったり、壊したら壊しっ放しとかではないところがまたイイ。
「今回はあちこちに補償問題が出るなぁきっと」とホリイ隊員が嘆くのが決定打だ。
 この世界も俺たちの世界と同じ“律”で動いていることを実感する。俺たちの世界にウルトラマンは(多分)いないが、でもあの世界は俺たちの世界と地続きなんだと感じさせてくれる。
 それが物語の、ひいてはウルトラマンそのものの“存在”を支えてくれるのだ。

 さらに作戦は進み、しかしこれまた予想外の事態により、とうとうウルトラマンの出番となるわけだが。
 そこに至るまでにどれだけGUTSががんばったかが、すべておとなにも納得できるレベルで描かれる。ウルトラマンの必然性もいや増すというものだ。
 この緻密な組み立て、隅々までゆきわたる主張と配慮、それを完遂する緊張感。
 これがティガ初期のたまらないおもしろさのひとつになっている。

 でもまさかあの強面さんが酒ぜんぜんダメなひとだとはね。
 そんなかわいらしいサゲがつくところまで『怪獣が出てきた日』、もう完璧なつくりといっていいと思う。
 ティガほんとにすごいよ。
(なお“彼”を演じられた方ご自身はかなりの酒豪だそうだ)