かどいの『I'm in Rock!-Ⅱ』

ある文筆業者(分泌業者ではない)の生存証明。基本的に毎日更新。

忌野忌

 なんのCMだか忘れたが(てことはCMとしては機能してないってことになるな)、忌野清志郎若い女の子と出てるやつがあってね。
 海辺でキヨシローがギター抱えててさ。
 女の子がキヨシローの歌を歌いだすの。それに合わせて途中からキヨシローも歌う。ひと節を歌い終えてから女の子が、嬉しそうに言う。
「変な歌!」
 言われてキヨシローが、困ったような笑顔になってうつむいちゃうの。

 その顔が、いいんだよなあ。
 一応、笑顔なんだよね。でももちろん、満面の笑顔なんかではないよ。戯れであれ、自分の創ったもんを「変」と言われた直後なんだからね。
 いろーんなこと、考えていそうだよなあ。
 キヨシローといえば、かつて……二十年ぐらい前に、武道館をRCサクセションとして満杯にしたひとだよ。その頃は、若者のアイドルだったのよね。それが今時のムスメっ子には「変」って言われちゃうの。もっとも、ある意味では当時から変だったからこそ、それだけの人を動員できたんだけどさ。
(余談であるが、RCサクセションというバンド名、“ある日作成しよう”という意味だという説を聞いたことがある。いくらなんでもそりゃなあ、と思う)

 時代は移ったのだなあ、と思ってるんだろうか。
 それとも、俺が変なんじゃなく、この気持ちがわからないおまえが変なんだぞ、と思ってるんだろうか。
 それともそれとも、しまったなあこの歌じゃこの女はおとせないか、と思ってたりするんだろうか。それとも思いっきり単純に「ダメかー」とだけ思ってるんだろうか。うーん、気になる。

 でも、いずれにせよ、あの場面で笑ってうつむくキヨシローって素敵だ。

 このシチュエーションを俺に置き換えたらどうなるか。
 書いた記事を読んだ女が「変な記事ー」と評する、ってことになるんだろうな。
 うーん。俺、笑ってられねえぞきっと。笑うどころか罵倒だな。
 つまり俺は、自分と自分の創ったものとの距離を、それだけ保てていない。
 作品というものは、自分から離れたら自分の力は及ばないものになっているのだ、ということを、理屈ではわかっていても、感情では納得していないというわけだ。
 これは、自分の子供を一人前のおとなと認めることができない親、というのともだぶるな。そう考えると、いかにみっともないことか。
 でもまだ罵倒だろうな。笑ってうつむく、なんてことはできないな。

 だからといってキヨシローが自分の作品を突き放しているかというと、実はそうじゃないだろうと思ってる。きっとキヨシローもいろいろ思うことがあるのに違いない。だからうつむくのだ。
 その間合いつうか、距離感がいいと思うわけ。
 激怒し罵倒するほど密着してはいない。かといって、達観してただ笑っていられるほど突き放してもいない。笑いながらもうつむいてしまう、という絶妙の距離感。おとなだなー。かっこいいなー。

 いつかは俺も、そういうおとなになりたいもんです。


(2002/07/04)