植松伸夫天才説
まあ今さらナニって話題なんだけどね。
知人とのやりとりで、話が「ワンダバ」に展開した。
ワンダバというのは、『帰ってきたウルトラマン』以後のウルトラシリーズで定番となった、防衛隊スーパーメカの発進BGMのこと。
『ウルトラセブン』まではふつうに勇壮な楽曲が使われていたが、帰マン(ジャック)以降は、男声による「ワンダバダバダンダバダバワンダバダバダン!』という謎のスキャットと金管のぶおーという鳴りをフィーチャーした専用楽曲が使われることが多くなった。
個人的にはやはりファーストインパクトの曲、ジャックのワンダバが最上にして最強の一曲だ。
この曲の魅力は、ワンダバが刻む細かいリズムと、最初はホルンの、あとからは金管軍団総出の力強い咆哮が、ワンダバの半分のリズム感覚で併存していることに尽きる。
ガキの頃にこれを聴き、口がふたつないことをずいぶん悔しく思ったものだ。
ワンダバパートと、ブラスの「ぶぉーっぼぼっぶぉっぼー」を同時に歌えない悔しさ。
かといってわざわざ誰かに「おまえワンダバ。おれぶぉー」って指定して歌うわけにもゆかんしね。小学生だからね低学年だしね。そんなこと求められても困るよね同級生は。
そういえばジャックには、オープニングからしてひとりでは歌えない悔しさがあった。
ラスト部分、団 次郎(現・団 時朗)のパートと少年少女合唱団のパートが、上向と下向に分かれてハーモニーをなす。ここがまたひとりじゃ歌えないw たまさかこの頃、ひとつ年上で俺の悔しさを理解してくれたひとがあって、期間限定十日ほど(ゆえあってそれしかいっしょにいられなかった)、とにかくそこだけを、暇みちゃ歌ってたことがあった。あれは至福であったことだ。ありがとうハタノくん。
どうあれワンダバの魅力、それはワンダバにではなく金管軍団の咆哮にある――と俺は決めている。ただ、だからといって金管だけ聴いていればいいかというと、それはもうぜんぜん違うわけで、ワンダバが細かくリズムを刻んでくれているからこそ、金管の咆哮が引き立つのだ。小倉あん練るときに塩ひとつまみの法則。ん。なんか違うか。違うな。
……てなことを考えているうちに、思い出す楽曲アリ。
これだ。
いわずと知れた……では、もう、ないのだろうなあ。
コンピュータゲーム『ファイナルファンタジーⅣ』のラストダンジョンBGMとしても名高い、『巨人のダンジョン(Giant's Dungeon)』。
いやこれはねホントね感慨深い曲だったですよのことだ(感情が激して日本語が変)。
最初にかかったのは違うダンジョンでのことだったと記憶するが、なにしろラストダンジョンに入ったらコレだからね。なんかもう血がね。沸騰。ぐつぐつと? いや違うな、瞬間的に沸いたな。齢が齢なら脳溢血で逝っても仕方ないくらい、これがかかったとたんに沸点越えたな(越えるのかよ!)。
曲の仕組みとしては、これとワンダバは同じことをやっている。
違うのは、ワンダバが高音域(ワンダバ含む)で細かい刻みをやり、中~低音域でゆっくりのフレーズを押し出している一方、巨ダンはベースラインが細かい刻みを担当し、メインの中~高域メロディがゆっくりになっているということで、つまり百八十度逆。
さらに巨ダンでは、ドラムスに相当するパートの半分リズムも強調されている。わざわざバスドラムの刻みにも後ろめのノリを感じさせるシンコペーションを使っていて、「この曲は本当はゆっくりなんですよー」と思わせている。
だがベースラインはずっと16分の刻みでせわしなく、これがラストダンジョンつまりは最終決戦の直前のフィジカルと、ものの見事にマッチしていた。
そう、フィジカルとのマッチング。
意識の上層に表れてくるものは、メインのメロディのように勇壮な、大義を背負って胸を張るパラディンの心だ。
だがその奥には、かなうかどうかわからない強大な敵、世界を呑み尽くそうとする悪意への恐怖と焦りがある。たとえおもてではどんなに平静を装っていようと、かつてない戦いへ臨むフィジカルは、アドレナリンじゃばじゃばの大興奮状態にあるのだ。いわば心臓バクバクの境地。
そこんとこをベースと、シズル感たっぷりのパーカッションサウンド――荒い息づかいのような音(シェイカーの16キザミにフェイザーかけたみたいな音のことね)が、これでもかとばかりにになっている。
ドラムスのおおまかなノリは、そんなフィジカルに「まあ待て待て待て」とブレーキをかけようとする上層意識のすぐ下の部分か。
そしてBメロに入るときの、お待たせしました! とばかりに歌う竪琴のアルペジオったら、どうよ。
多分これサンプリング素材としてはオープニングのアレと同じもの。つまりFF伝統のあの感じ。それをね、この場に――ラストへ向かうぞというこの瞬間に、満を持して! 出しますか。そうですか。つまりこれは、まさに世界を象徴するものってわけっすね。
そういうものすべてが、このアレンジには宿っている。
神。
実際のところ、FFⅣはいろいろな意味で「名作となることが約束された作品」だったと思う。というより、そうならなければならない宿命の作品だった。
発売は1991年7月19日。SFCというハードが発売されたのは、遡ること八か月前の1990年11月21日。この間、当時すでにドル箱的ジャンルとなっていたRPG分野に、メジャーなシリーズは入ってきていない。ドラゴンクエスト(Ⅴ)なんてFFⅣの一年以上もあと(1992年9月27日)だし、ウィザードリィに至ってはドラクエⅤの二か月あとの1992年11月20日だ。え。メガテンどうしたって。えーメガテンは『真』が1992年10月末日ですな。つまりDQ5とWiz5のちょうど真ん中。地味なとこに入ってんなあ。
じゃなくて。
FFⅣは、つまり、全コンシューマーPRGファンの期待の焦点だったわけよ。
実際それまでに『ガデュリン』とかあったけどね。でもやっぱFFなワケですよ。第一作めのときから「あ。これ他のと違う」と実感させてくれたFF。DQの成功を受けてだばだばとつくられたRPG的なものとは一線を画した“本格派”。Ⅱでは驚きの経験値排除、Ⅲでは愕然のジョブチェンジと、一作ごとに個性を輝かせてきたゲームですよ。それが超絶スペックのSFC(※当時の個人的感想です)に参入したらどーなるんだ、という期待。
だからFFⅣは傑作でなければならなかった。
そしてなによりすごいことに、それをきちんとやりおおせた。
それはゲームとしての完成度のみならず、音楽にまで至っていた。
然り、FFⅣは、コンシューマーRPGの限界を越えた傑作音楽集にもなっていたのだ。
サンプリングの種類の多さや活かし方、楽曲自体の組み立て、その使われ方など、すべてが当時のレベルを上回っていた。
SFCというハード自体のデビュー時、『スーパーマリオワールド』でオーケストラヒットが使われていてビビッた俺だが、それはあくまでも「こんなこともできまーす」という使われ方、技術の披露に過ぎなかった。
技術は活かすためにある。
たとえばハードロック/ヘヴィメタルの世界で、ライトハンドタップを技術として確立したのはエディ・ヴァン・ヘイレンだったが、それを音楽のためのテクニックとして活用しきったのはランディ・ローズであって、エディとランディの間には数年のタイムラグがあった。要はエディのテクニックは飛び抜け過ぎていて、それを活用しきる才能は、当のエディにすらなかったのだ。後進の天才がそれの活用法を示すまで、エディのライトハンドは半ばサーカス的なもの、見世物の域から出られなかった。かのアインシュタインだって、相対性理論を十全には理解していなかったという話もあるらしいし。
同様にSFCでは、マリワのオケヒも見世物だった。
それを音楽のためのものとして完全に活かしたのは、俺の知る限り、FFⅣが最初だ。
まあでも俺も全部のSFCソフトをやったわけじゃあないから、他にもいい音楽のゲームはあったかもしれないけどね。
でもね、SFCのためにRGBケーブル入力端子を備えたテレビを買って待っていた俺に、初めてそれが完全に活きたと思わせてくれたのは、やっぱFFⅣだったんだよ。
……はぁはぁはぁ。
なーに熱くなってんのだ俺は。
まあとにかく、そんな具合で、FFⅣは最初から重荷を背負わされ、そしてそれをにないきった、ものすごい記念碑的作品だった、とゆうことなんですよ。
それは隅々に至るまで実現されたし、なかんずく音楽の素晴らしさは、今なお語るに値する価値をもっていると、このように思う次第なのでございます。
ワンダバと巨ダン、基本構築は同じ。
小刻みのリズムと雄大なメロディを同居させ、互いに煽り合わせて緊張感をイヤが上にも高めるという技法。
これを「ここ!」という場面に提示した植松伸夫というひとは、やはり天才と呼ぶにふさわしいものを備えていると、はい、自分このように思う次第なのでございますよ。
ただ植松氏、この時期はこういう構築に凝っていたのかなあという気がしなくもない部分もあり、同じFFⅣにはこういう曲もある。
『魔導船(The Big Whale)』だ。
これなあ、これもすごかったんだよなあドラマとの絡みがなあ。
魔法国家ミシディアで延々と復活の儀式がおこなわれ続け(これのグラフィックがやたらチマチマ動いて、荘厳とか懸命とかいうよりはただひたすらかわいかったのも今となってはいい思い出です)(いきなり小学校の卒業式の呼びかけ感)、その末ギリギリになってようやく飛翔あいなった魔導船=巨鯨。
これに乗り込んだ瞬間からもう血が沸騰(以下略
あるいは魔導船、歴代の飛空艇の中でも最もすごいやつかもしれんな。
大気圏外まで平気で飛んでっちゃうんだからな。
中にチョコボもいるしな。
この曲も、細かく刻むストリングス、ゆっくりなリズム感のトランペット風主旋律という構築で、やはりふたつのリズムを併存させ、それにより曲全体の雄大さをはっきりと示している。
この曲でもうひとつヒネッてあるのは後半部分で、ここでバックだったストリングスサウンドのリズム感をそれまでの半分にし、主旋律と拮抗させているところ。
前半は16キザミのストリングス+二分音符の主旋律という構築にしておき、後半は主旋律はそのままでストリングスを八分音符として存在感を大きくすることで主旋律と絡ませた。これにより全体の雄大さをいっそう強調しているわけだ。
これがねえ、名前の通り空飛ぶ巨鯨のごとき魔導船のスケール感とぴったり合っていてねえ。それはもう血沸き(それはもういい)
どうあれこれらは、植松伸夫という才能が生み出した、文字通りに珠玉のごとき名曲群であり、それらを生み出した才能は、コンシューマーゲーム開花の時期にぴったりタイミングを合わせて開花した、稀有にして時代に必須のものだったと思う。
DQを支え続ける すぎやまこういち がそもそもにメジャーな作家であり、ある意味では外様的な立ち位置だったのに比べ、あくまでもゲーム制作業界内部から飛び出した才能という印象もある。
植松伸夫は、やはり時代が引き寄せた天才なのだ。
……と、ワンダバを起点に思いがけない方向へハミ出ていった俺の連想。
これを書くために YOU TUBE とかをうろうろしたら、まあいろいろ思い出すわ感動新たにするわで、しばらくウェブ放浪者になり果てた。
そして最終的に至ったのが、ここ。
これもギターの細かいアルペジオ+ハイハットの16ビート、それと対照的な風の音のように響く主旋律が、空をひたむきに翔ける船の姿を、そしてセッツァーが自身の奥に封印していたセンチメンタリズムを、それはもうものの見事に表現していて、素晴らしい。
そしてここでのベースは、歌心たっぷりに大気の流れまでもを表現している。
そういえば植松伸夫はベースあしらいの巧者でもあるのだった。だいたいFFの最初からずっとバトルBGMの入りはベースソロだったしな。
でもその話はまた別のときに。