かどいの『I'm in Rock!-Ⅱ』

ある文筆業者(分泌業者ではない)の生存証明。基本的に毎日更新。

かなり驚愕の実態(音楽における)

 ついった流れで知ったサイト『Music Map』がすごい。⇒https://www.music-map.com/

 ミュージシャン名を入力すると、「そのひとが好きな聴き手は、だいたい此処等辺も好きっぽいです」みたいなメッセージとともに、ミュージシャンの名が並ぶ。
 中心には指定したミュージシャン名があり、周囲に放射状に他ミュージシャン名が配置される。中心からの距離は、聴き手側における距離感と比例する模様。上下左右の配置にどんな意味があるかは不明。
 結果自体は、その時点で得られたデータから即座に算出しているっぽい。
 すげえことができるんだな今は。
 さらに“地図”上に表示されたミュージシャン名をクリックすることで、そのミュージシャンを中心とした新たな図が表示される。
 永遠にやっていられるぞ。(やるなよ)

 こういうやつは、まず最初に自分の贔屓のミュージシャンでやってみて、その“精度”を確かめるに限る……と思って、なにはさておき『中島みゆき』と入力してみたら。
 なにこれ。
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 ……さすがに驚いた。
 ほぼ接するほどの右斜め下に『谷山浩子』の名があるのは当然と頷く。というより、それがなかったらそっこー却下という要素だ。
 だが、真下に『たま』『大槻ケンヂ』がいるってのはどういう事態だ。
 椎名林檎は表記が変わりつつ(Ringo Sheena とか Shena Ringo とか)三回ぐらい出てくる。
 オーケン絡みで当然のように『筋肉少女帯』も登場し、さらに『特撮』も出てくるとなるとかなりマニアックな世界に入ってゆく感。『戸川純』もそういう絡みか。てゆか『松任谷由美』が筋少より遠いってのはなぜだ。
山崎ハコ』が『鬼束ちひろ』より遠いのは微妙だが、鬼束より近いところに『元ちとせ』がいるのはなんとなく納得できる。ところがその元より近いところに『人間椅子』がいるじゃあないか。椅子が? 椅子がー!?
 これ信じていいのか?……いや、意外性は強烈だが提示されてみればこの通り確かに俺の守備範囲と相当に重なっているわけで(「そうなのかー?」と思う程度には知っているんだもんな)、その意味ではよほど信頼性が高い。

 さらにおもしろいのは、この図が俺個人の人脈とも微妙にマッチしてくるところだ。
 知人にナゴム系の好きなひとがいる。そのひとは多分、中島みゆきをそう積極的には聴かない。嫌いはしないと思うが、わざわざアルバム買ったりはしないと思う。
 で、そのひとが趣味としている(と俺が思っている)系統が、この“地図”には、けっこう入ってきている。
 ある意味そのひとの趣味も見えているわけで、しかしふだんはそのひととのやりとりがなぜ成立するのか、俺自身も実はよくわかっていない。いや根本的にはそのひととのやりとりがたのしいから続いているわけだが、なぜたのしいんだか俺にもよくわからない。
 そのひととのやりとりは、そもそも音楽の話から始まっている。だが第三者から「好きなミュージシャン挙げてみてー」と問われたとして、それぞれが遠慮なく答えたら、問うた第三者はまず頭を抱えるだろう。(抱えるのは腹かもしれない)
 それがこの図を見ると、なるほどたのしくやりとりできて当然だろうという気がしてくる。根っこというか土台になにかしら通じるものがあるっぽい。
 すると、やはりこの図は正しいというわけか。

 ただこれ、純粋に音楽性を考えたものではなさそうではある。まあ当然かw
 まずミュージシャンがいる、これ大前提。で、そのミュージシャンの主張として作品が生じるわけで、その作品がひとびとに愛され、あるいは嫌われる。だから本質的には、作品が唯一の判断規準だ。たとえそのミュージシャンが人間としてはクズでも、音楽がよければ聴き手は支持する。音楽は本来そういうもの。
 だから音楽は、音楽として評価されるべきものだ。
 だがこの“地図”は、当の作品自体を量って……というものではなく、それを聴いたひとびとの傾向をおおまかに捉えて可視化するというプロセスだ。つまり知見のあるひとの分析や能動的個人の感覚による内的に踏み込んだ分類ではなく、“大衆”の浮動的嗜好による“市場”の様相を表現したものといえそうだ。
 十人の評論家の意見より一万人の好き好き、ってことだね。
 偶さかある種の分野――それこそナゴム系とかw――の場合は、聴き手自身がある程度以上の知見をそもそもに備えているといっていい部分があり、ゆえに結果論として音楽性に触れてくる部分も生じるが、そうでないと考えられるジャンルについては、本当に役立たずだ。失礼を承知で試しに『Sexy Zone』と入力してみたら、ほぼ見事に中央部分がジャニーズで固まっていて、これではほとんど音楽の分析の役には立たない。市場の傾向ばかりが立ってくるわけだね。(なお、なぜかここにも椎名林檎の名が繰り返し出てくる。椎名ファンはそんなにあっちこっち手を、いや耳を出しているのかw)

 これはいろいろ考える種になるなあ。
 これまで音楽出版業界でいろいろに沙汰されいわゆるプロデューサーとかディレクターと呼ばれる方々が個の才能で測ってきたものが、一目瞭然誰でもわかるものになっちゃった部分がある。
 音楽自体が、市場においては、さきほど述べたような「作品」としての内容で測られてはいないという証明にもなっていそうだ。データの扱いよう(準備の方法)にもよるのだろうが、たとえば Ritchie Blackmore のそばにバッハやベートーベンやジミヘン、高崎晃やインギーが並ばないようでは、音楽の(歴史的な意味を含む)系統とか内容についてはなーんも語られないのと同じだし、実際それらの名は出てきていない。あくまでも“売れ行き”的なものだけでの話になっているようだ。
 こういう情報からは、新しいものは生まれてこないだろう。しかし聴き手がそれを、新しいものを望んでいるのかどうかといえば……という話にもなる。切ないことだが。
 どうあれこの時代、これまでは手法がわからないとか実現が難しいとかで神秘の筐の中へひっそり収められてきたさまざまなものまでを堀じくり出してしまいそうで、そしてそれはニンゲンという種族の本質のような部分(可能性ではなく)(てゆかむしろ可能性とは正反対の位置にあるなにか)を丸裸にしちゃいそうで、すげえ恐いな。いや実際にはもう三割以上そういうのが見えてきちゃった気がする部分はあるんだどな。
 うーむ。
 すごい。
(なんという投げやりな結び)


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 なおこれ、セクションとしてはごく一部のもので、真ん中には『Grobal Network of Discovery(Gnod)』というものがあるらしい。発見の汎的情報網? 意訳するなら“ネットでみぃつけた!”ですか?
 他に本やアート作品などについての同様のチャートも出せる。根本的には、ドイツの Marek Gibney なる人物が、AIに関する個人的興味から立ち上げたものだという。
 制作は実質三人でおこない、月当たり三十万の周辺ユーザーからの意見を取り込んでデータを整えているのだそうだ。
 へーえ。⇒http://www.gnod.com/