かどいの『I'm in Rock!-Ⅱ』

ある文筆業者(分泌業者ではない)の生存証明。基本的に毎日更新。

【Ringo the Wight/#1-01】

 明るい場所には人が集まる。人が集まれば、そこは街になる。街には必ず、闇が生まれる。そして闇は、さらに多くの人を呼び寄せる。
 この街もまた、その足元に、そういう闇をしっかり育んでいた。
 この街――典型的な地球型惑星の、これまた典型的な開発都市というやつだ。
 街の、というよりはこの星での人々の歴史は、そう古いものでもない。せいぜい百数十年というところだろう。
 けれど星自体は、見つけられた時にはもう惑星としては年寄りで、地殻の活動もすっかり落ちついてしまっていた。
 だから、やってきた人々は、気楽にどんどん建物を積み上げた。地殻が落ちついていさえすれば、特に難しい基礎工事は要らない。百階建て程度のビルも、アンカーパイルを浅く打ち込んだ上に箱を積み上げるだけで、すぐに作れる。
 とはいえ、百階分のフロアすべてが、どこも同じように活用されるわけではない。
 ひとより多くの金がある人々は、たいがいビルの上層に住みたがるものだ。
 だから、林立するビルの三十階ほどの高さには初めから、そういう人々のための交通網が整備された。ついでにビルとビルの隙間は縦横無尽に繋げられ、地上百mほどの高さに第二の地表が造られた。そこには大規模なショッピングモールや広々とした公園が設けられて、“上”(アッパー)の人々の生活を充実させた。
 じゃあ三十階より下はどうなるかといえば、これはもう物理的にも実質的にも、ただの土台でしかない。
 そこには、中層以上の営みを支えるためのボイラーやエンジンの類、それらを駆動させる燃料を運ぶパイプライン、貨物のための輸送機関が収められた。
 だが、それだけを入れても空間は大量に余るし、機械にはそれを管理する人間も必要だ。
 だからそこは、流入してくる、お世辞にも金持ちとはいえない人々のための居住・労働空間として提供された。つまり、貧しい連中は中層以上の人々のためのボイラーと同じ、と認定されたわけだ。
 地べたに生きる連中は、文字通りの下層民。地べたから離れれば離れるほど、高級な人と見なされる。そんな街。
 三十階から下は、闇。
 そういう闇が、この街の、次々と積み上げられるビルの足元に、遍くはびこっていた。
 市長に聞けば言うだろう、『“下”(ベースメント)にだって自然光がそれなりには届くし、灯だってちゃんと設営されている。だからそこは、闇ではない』と。だが地べたは、地べたであるというだけで、この街の、まぎれもない闇の溜まりなのだ。
 そんな地べたの片隅、ひどく荒れた路地の奥に、だいぶ柄の悪い声が響いた。
「だぁから、もうあきらめろって。早くオウチに帰りてぇんだろ?」
この辺は、ごく最近――つい十数年前になって積み上げられたビルの足元という場所だ。
 新しい街とはいえ、その構築はやたらと入り組んでいる。ビルとビルは奇妙に噛み合って並び、ビルの足元をのたくる地べたの“道”も、当然、くねくねと曲がって続いている。
 誰でも持っているニックナックターミナル=KTをナビシステムに繋げっ放しにして、常に現在位置を確かめながら歩かなければ、地元の住民でさえ目的地に辿り着くことは難しいだろう。少しは計算を立てて街を設営すればこんなことにもならなかったろうに、滅多やたらな街の造営というのは、この星でのポリシーに近いものなのかもしれない。
「でも……僕たちは……その……」
「もうよしなよ。おとなしく出すモン出しゃあ、すぐ解放してやるって言ってんだ」
 声のする場所には、だふっとした派手色の服に身を包んだ、数人の少年たちの輪があった。
 その服の派手色は、くすんだ道の上でもよく映えるカラーコーディネートといえた。それは、毒をもつ虫の、警戒色とかいう体色によく似たセンスのものだ。
 服自体の、いかにもダル気なデザインも含め、この辺をテリトリーにしている悪い子供たちの典型的ないでたちだ。
 そしてその輪の真ん中には、こぎれいな格好をした青年が二人。
 すらりとした体型に見合った、すらりとした上下の服。身に着けた小物のデザインや、それらの配色のセンスもなかなかいい。けれど、この路地に立つには、どうにも不似合いだ。見るからに“上”の民らしい。
 まるで、毒虫に囲まれた、哀れな血統書つき仔猫という光景。
 まごうかたなきカツアゲの現場だった。
 周囲の風景には、早くも、年輪を経た混沌にヒケをとらない凄味が漂っていた。
 壁に貼りついた得体の知れない汚濁のシミは、幾重にも層を成して、間違っても優美とはいえない微妙な陰影を生み出している。角という角にはゴミやらチリが吹き溜まり、それが雨やらなにやらで固まって、すでにすっかりビルの基礎の一部と化している。
 アンカーパイルの上面をそのまま使った路面も、正体不明の黒ずみを表面にまとって、鈍くいやらしく光っていた。ワタクシもう何百年も前からここで道やってます、とでもいいたげな箔のつき方だ。
 見渡す限り、人影はない。当然だ。この辺にはこれといって目立つ施設など、ない。人の往来もなくて当たり前なのだ。そもそもに“下”の住民たちは、ビルの外を歩きたがらない。“下”の民なら、ちゃんと知っているのだ。普段の生活はビルの中にいるだけで充分に営めるし、せっせと道を歩いても、金輪際いいことなんぞには巡り逢えないということを。
 わざわざ道を歩くのは、物見遊山の“上”の民と、毒虫少年団ぐらいのもの。
 そう、物見遊山の“上”の民――こぎれいな青年たちは、ちょっとした冒険気分でこのスラムに足を踏み入れたのに違いない。そして当然のごとく、毒虫少年団のいいカモになったというわけだ。
 もっともこの場合、カモられる側にも相応の期待があったといえる。わざわざ“下”にまで来ながら、カツアゲのひとつにも遭遇しないまま帰ったんじゃ面白みがない。つまりこれは、血統書青年たちの自業自得というやつだ。
 だからこれは、闇の溜まりには、ごくありふれた光景なのだった。
「でも……でも……」
 半志願的イケニエの血統書つき青年たちは、けれど、顔を蒼白にして呻いている。
 それはそうだ。彼らにすればこれは、一生に一度経験するかしないかという状況なのだから。そのうろたえぶりも、仕方のないところだろう。
 そう、一生に一度。
“上”に生まれれば、“上”で学校に通い、“上”で就職して、“上”で死ぬ。“上”には、お上品な生活しかない。カツアゲどころか、ケンカだって滅多には経験できない。
 そして“上”の民には、“下”に来なければならない事情など、まず普通は、ないのだ。“下”の民が“上”へ移り住むこともあり得ないように。
「毎度、情けねえ奴らだぜ」
 毒虫少年団の輪の後ろの方にいたひとりが、吐き棄てるように呟いた。
 血統書青年は、そんな小さな呟きにもビクッと総身を震わせている。
 呟いた少年は、仲間の輪の間からちらりと奥の青年たちを覗き見て、くるりと体の向きを変えた。そして、両手をポケットに突っ込んだまま、上を見上げて『はー』とため息をつく。
「まあクサるなよ、リク」
 毒虫仲間のひとりが、ため息の少年を振り返り、その背中に声をかけた。
「こんなんでも、カモはカモだしよ」
 リクと呼ばれた少年が、首だけ巡らせて仲間の輪を振り返る。
「まあ、ね」
 そう答えて口許に笑みを浮かべたリクの目には、この手の“商売”をしているわりには、不思議なほど透き通った印象があった。
 黒い瞳が、あくまでもくっきりと映えている。瞼を飾る、これもまた黒い睫毛は、けっこう長く密に生えていて、少年というよりは少女のものに近い。いや、目元だけではない。顔全体に、すっきりとして華奢な、女性めいて優しい印象がある。“下”で、こんな“商売”をしている者には到底相応しくない言葉ではあるものの、清々しさ、があるのだ。
 そういえば、声も少し高い感じだ。よくよく見れば、けっこう幼くもある。齢の頃なら十三、四といったところだろうか。
 さっきから直接に青年たちを脅していた毒虫のひとりが、いっそう声を荒らげた。
「おぅ、“上”のあんちゃん!」
 血統書青年たちは、その声音にますます顔色を青くする。
「おめぇらがグズグズしてるから、見ろ! ウチの身内が、ヘソ曲げてるじゃんかよっ」
 リクは、その澄んだ瞳で様子を一瞥してから、ふと視線を路地の反対側へ向けた。
 と……。
(……なんだ、あれ?)
 道を、しゃかしゃかと歩いてくる人影が見える。
 かなり離れた位置ではあった。昼でも薄暗い“下”の道で、しかも、すっかり暮れてしまった今時分の明るさ程度では、その人影はまだ、人影であることぐらいしかわからない。
 けれどもその人影が、異様に早い足取りでこっちに近づいてくることは、はっきりとわかる。
 リクたちにも、リクが真っ直ぐ見ている視線にも気づかないのか、人影の足取りは止まらない……いや、止まった。向こう三十mほどの場所で、まるで壁にでもぶつかったように突然に、だ。ようやく、自分が進む先に、障害物があることを認めたらしい。
 リクは目を凝らして、その男の様子を検めた。
 まだぼんやりとしかわからないが、どうやら男であるようだ。
 かなり背が高い。肩幅は広く、腰は細く、そして手脚がやたらと長い。頭が大きく見えるのは、長めのくせっ毛がぐしゃぐしゃと絡まり膨れているからだろう。
 男は大仰に首をひねくり回しながら、自分の進路前方で起こっている事態、つまりリクたちのカツアゲをしげしげと眺めていた。よっぽどカツアゲが珍しいのか、あるいはカツアゲというもの自体、よく知らないのかもしれない。
 と、男は突然、鋭い動作で右腕を、クイッと右上四十五度の方向へ突き上げた。その腕が真っ直ぐに伸びてから、クキッと肘を折る。そして、その手首に、頭ごとを押しつけるようにして目を近づけた。どうやら今どき、腕時計というものを使っているらしい。
(なんだよ、変な野郎だな)
 リクは、現在進行中のカツアゲよりも、男に興味をそそられた。

(続く)