かどいの『I'm in Rock!-Ⅱ』

ある文筆業者(分泌業者ではない)の生存証明。基本的に毎日更新。

【Ringo the Wight/#1-04】

(承前)

 確かにそこは、見事に少年的な部屋といえた。
 食堂にしているらしいこの部屋には、今リンゴーたちが着いているテーブルセットの他、これもまたどこかで拾ってきたような背の低い物置棚が片隅にひとつあるきりだ。壁は剥き出しのままで、飾ったり磨いたりした様子は皆無。奥に覗けるキッチンにもこれといった汚れはなく、手間のかかった料理とは見るからに無縁そうだった。出来合いのチューブ入り調味料がいくつか並んでいるだけで、それはきれいというよりは殺風景なのだ。流し台の傍らの床には、黒い筒が置かれている。どうやらゴミ箱として使われているらしいそれは、よく見れば皮を片方外したフロアタムドラムだ。
 不釣り合いなのは、小さな猿の人形だった。
 食堂の物置棚には、汚れてくたびれたスニーカーやダンベル、工具箱などが押し込まれている。ぶっきらぼうなまでに実用性だけが満ちたその棚のてっぺんに、ポケットに入るほどの小さな猿の人形が、ちょこんと座っているのだった。
 しすぎるぐらいさっぱりしたこの部屋に、いかにも収まりの悪い風情で、その人形は浮いていた。
「ふぅむ……」
 室内の様子にいろいろと納得がいったらしいリンゴーは、拇指と人指し指の先で顎を撫でながら、改めてリクを見た。その目には、不思議な深みのある優しさが含まれている。
「な、なんだよ」
 リンゴーの目にうろたえて、リクは身じろぎをした。
 こういう目には、慣れていない。
 哀れみや蔑みの視線、“商売”のカモの怯えた目、あるいは男色家の露骨な誘いが込められた秋波の類には、けっこう晒されている。けれども、今向けられているような妙に柔らかい視線というものとは、随分長いこと縁がない。
 居心地が、悪い――むず痒い。
 気味悪いやつ、拾っちゃったのかなあ。利用はできるんじゃないか、って思ったんだけどなあ――リクの、そんな考えさえ見抜いていそうな目だ。見抜いているくせに、それを詰ろうとはしない目。なにを考えているんだかわからない、けれどもそれはおそらく自分にとって悪いことじゃないんじゃないかと思える目。
 得体が、知れない……。
「なんだ、って訊いてんだよ!」
 曖昧な空気に耐えきれず、リクは半ば怒鳴るような声を出していた。
「ああ、いや。なんでもない。なんだか懐かしくってねえ。嬉しいって言ってもいいのかもしれないな。今時、これだけきちんと少年してる少年ってのも、珍しい気がする」
「……ったく、わけわかんねえヤツだなあんたも」
「ことに、あの猿は面白い。あれはなんだい?」
 リンゴーが指さすのを見て、リクは、ああ、と呟いた。
「こないだ若い親子連れを脅した時、ガキの方が寄越したのさ。『これあげます、だからぱぱをゆるしてあげてください』とか言ってさ」
「ほほう。で、リクはどうしたの」
 リクは、困ったような顔になって、視線を横に逸らした。その様子を見てリンゴーは、「ははぁん」とわかったような声を出した。
「許しちゃったんだね? あれをもらって」
 リクは無言のままだ。リンゴーはウンウンと頷きながら立ち上がり、猿を手に取った。
「そしてリクは、捨てなかった……捨てられなかった、というわけだ」
「うざってぇんだけどな」
「これ、俺がもらってもいいかな」
「構わねえよ。でもそんなもん、どうするんだよ」
「いや、どうするということもないけれどね。なんだか、気に入った」
 言いながらリンゴーはそれをジャケットのポケットにしまいこむ。
「……とことんわけわかんねえヤツだな、あんたは」
 リクは、ずず、と音を立ててカップのコーヒーを啜りながら、横を向いた。
「しかし、なんだね」
 リンゴーはリクの様子にわずかな気遣いも見せようとせず、まだきょろきょろと部屋の中を見回しながら言う。
「リクは今、何歳になるんだい? 両親とかはいないのかい?」
「あんた詮索好きだな」
「まあねえ。それぐらいしか、楽しみがないもんでね」
 遠慮もへったくれもない物言いだ。リクの怒りゲージは、瞬間的に九割ほどにまで上がった。その勢いにまかせて、リクは早口でまくしたてた。
「ああ、ああ、ああ、そうかいそうかい。それがあんたの楽しみかい。じゃあ教えてやるよ。両親はいないことはない。ほんの数ブロック離れたとこに、今も元気でいるはずさ。俺は十四歳だ。七人きょうだいのてっぺんだよ。当然、親たちの目は届ききらず、小遣いももらえず、だから十の頃から今のチームに入れてもらって、カツアゲで暮らしてきたのさ。この部屋に住み着いて二年。さっきも言った通り、恋人はなし。さあどうだ、楽しいか? でももう終わりだぜ。これ以上話すような身の上なんか、ねえよ。どうだい残念だろ糞っ垂れ!」
 リクの長台詞を聞いて、リンゴーは、ほう、と気の抜けた返事をした。
 その気の抜け具合がさらに気に入らなくて、リクは思わず言ってしまった。
「ついでにいえば、あんたに飯を食わせたのだって、本当は下心があってのことさ。別に好意とかなんとかの類じゃないぜ。つまりは、あんたに頼みたいことがあるからさ」
 言ってしまってからリクは、口の中で舌打ちをした。
 これでもう駄目かもな。どこのお人好しだって、面倒は厭だろう。下手すると、今夜のうちにも遁ズラ決められるかもしれない――
 が、リンゴーはむしろ、ぱっと顔を輝かせていた。
「おお! 仕事をくれるってのかい?」
「……仕事だぁ?」
「仕事だろう。飯を食わせてもらった。宿も提供してもらえるらしい。その代わりになにかをするってのなら、それは立派な仕事じゃあないか我が友」
「それやめろって」
「……リク」
「わかりゃいいんだ、わかりゃ」
 ちょっと気まずい沈黙が流れる。いや、気まずく感じているのはリクだけなのかもしれない。けれど、沈黙は沈黙だ。あまり心地よいものじゃない。
 正直な話、リクは戸惑っていた。
 こいつと話していると、どうもペースってものが乱れる。混乱する。
 だいたい、どんなことを頼まれるかわかってもいないうちから“我が友”なんて言って顔を輝かせてるなんて、こいつ、どう考えても頭のネジが豪勢に抜けてるとしか思えない。
 けれど、先行投資はもうしてしまった。さて、どうしたもんか……どう切りだせば、こいつを働かせられるかな。
 とにかく、話してみるか――
「で」
「で」
 同時に口を開いて、二人は絶句した。
「……なんだよ」
「いや、ここの主人であるリクから先にどうぞ」
「リンゴーは客だろ、客の方が一応は偉いんじゃないのか」
「……まあ、どっちでもいいんだけど」
 また沈黙。間合いを計る二人。この辺が頃合いか、とリクが口を開いた。
「で」
「で」
 またも見事にかちあって、リクは足をどんと踏みならした。
「あーもうっ! あんた俺のことバカにしてんじゃないか!?」
「まさか。飯を食わせてくれた友をバカにするなんてこと、あり得ないよ」
「だから! 友、はやめろ、って!」
「いやだから俺はねリクがさなにを言いたいのかなあと」
「あんたに頼みたいことがある、ってんだよ」
「それ、それ! 俺もそれが訊きたかったんだよ、話してくれないか」
「ゔーッッッッ……!!」
 テーブルの上に突っ伏して、リクは両手で頭をがりがりと引っ掻いた。

(続く)