かどいの『I'm in Rock!-Ⅱ』

ある文筆業者(分泌業者ではない)の生存証明。基本的に毎日更新。

【Ringo the Wight/#4-01】

(承前)

 五人が廊下を走る。
 先頭を行くのはリンゴーだ。リンゴーは、ドアの前ごとに立ち止まってはカードキーをスロットに通し、錠を開いて中に飛び込む。リクとヴィレンが、素早く続く。
 ここでも五人の役割配分は、特に相談したわけでもないのに、きっちり決まっていた。扉を開くのはリンゴー、部屋を検めるのはリクとヴィレン。クラークとセトは廊下への出入口の辺りに残り、警戒する。そのチームワークは整然として、わずかの乱れも無駄もない。
 どの部屋にも、奥の間が二、三部屋ずつあった。全体に、リクたちの住むブロックよりもかなり広い。とはいえ、部屋に入ってざっと首を巡らせるだけで、中の様子がだいたいわかる程度だ。フジマの部屋のような莫迦げた広さは、さすがに他の部屋にはない。
 捜索は手早く進み、部屋は次々と消化されていった。けれど、手応えがない。なさ過ぎる。
(エイミ、マジでこのフロアにいるのかな……)
 捜しながらリクは、次第に不安になってきた。
 ユーリーたちによれば、このビルでヤクザたちが使っているのは、このフロアの二十七部屋だけだったはずだ。リクたちは、ボスの部屋を含めて、もう十五部屋ほどもを見てきている。けれどもどの部屋にもほとんど生活感がなく、当然エイミの姿も見当たらない。すべての部屋が詰め所、ボスを護衛する兵隊たちのための控室という感じなのだ。人質を監禁しておくような雰囲気は、まるでもちあわせていない。
 あるいは別のフロアなのか。それとももうとっくに、“始末”されてしまったのか……。
 フロア全体が妙に静かなのも気になる。
 最初に片づけた十数人以外、ヤクザの姿が見えない。まさかあれで全部というはずもないだろうに、追撃の手がないのだ。
 けれどリンゴーは、それを一向に気にすることもなく、次の部屋へ向かう。
(もしかすると、これがユーリーたちのやってる作戦の効果、なのかな……)
 そうは思うものの、リクは、いつ敵が現れるかと気が気ではない。その不安が、行動ひとつひとつに自然と緊張感と素早さを加えている。
 リンゴーはそんなリクを振り返りもせず、次の部屋のロックを解除し、扉を開けた。
 開けるなりリンゴーは、
「ん?……」
 訝しむ声を漏らした。
 踏み込まないリンゴーの横から首だけを中に突っ込んで、リクも「う……」と唸った。
 違う。この部屋は、違う。他の部屋とは異なっている。
 他の部屋には灯りもついていたし、エアコンも効いていた。ひとがいることを前提にした状態になっていたのだ。けれどこの部屋は、暗い。そして、むっとしたにおいが籠もっている。ろくに換気もせず澱むがままに捨ておかれた空気が孕む、独特の蒸れたようなにおいだ。
 生活の、というよりは、もっと生々しく饐えたにおい。汗やその他、あまり歓迎できないもの――腐臭でこそないが、それに近い老廃物めいたもののにおいが、する。
 リンゴーは手探りで壁を探し、明かりのスイッチを入れた。部屋が明るくなる。途端、
「あ……!!」
 リクは思わず声をあげていた。白い手足が、目に飛び込んできたのだ。
 それは、床の上へバラバラに投げ捨てられているように見えた。リクは目を大きく開いて、それがちゃんと繋がっているか確かめた。腕が、脚が、胴体にちゃんと繋がっているか……それを確かめなければと思うほど、四肢は奇妙に捩じ曲がっていた。
「……先生」
 リンゴーが呼ぶ。クラークが眉間に皺を刻み、無言で奥へと入ってゆく。
 いた。
 エイミだ。
 間違い、ない。
 けれどその姿は、あまりにも無残だった。
 服の一枚も着せられてはいない。素っ裸のまま、硬い床に打ち捨てられている。
 長い髪はぐしゃぐしゃにもつれ、白い肌の至るところに痣ができていた。はっきりそれとわかる歯形もある。片方の乳首など、噛み千切られなくなってしまっている。
 キラキラしていたはずの目は虚ろに天井を眺めていた。唇は半ば開き、表情は痴呆めいて弛んで、あの美貌が見る影もない。どれほどのことをされたのかが、ひと目でわかる。
「エイミ……」
 ヴィレンの声がした。
 いつの間にかヴィレンも、入口に立ったままのリンゴーを追い抜き、部屋に入っていた。
 リクはヴィレンの横顔を見て、ぞっとした。
 顔色が、白い。唇もまた、すっかり青黒くなってしまっている。なのに、大きく見開かれた目だけは血走って赤く、まばたきひとつしても血が吹き出しそうに見える。
(……怒って、るんだ。ヴィレンは今、すごく……怒ってる)
 これほど感情を剥き出しにしたヴィレンを、リクは今までに見たことがない。いや、これだけ怒った人間の顔というものを、見たことがない。この表情に比べれば、本部で泣いていた時の顔は、まだしも抑制がきいていた。
 迫力という言葉さえ、物足りなく思える。真っ直ぐに目を合わせでもしたら、それだけで命を砕かれてしまいそうな、そんな激しさがヴィレンの全身から放たれている。
 人間ですら、ないみたいだ……。
「うむ」
 けれどクラークは、それに気を払いもせず、エイミの首筋や頬に触れながら重々しい声を出した。医者として、目の前の患者に全神経を集中させているのだ。
「死んじゃあいない、ちゃんと生きとる。だが、いろんな意味でかなりヤバいな」
 ヴィレンが訊き返す。
「どういうことですか先生」
 その声を聞いて、リクは再び寒けを覚えた。
 甲高く、細い声。ドスを利かせた低い声では、なかった。
 けれどそれは、わざとらしい脅し声より、ずっと恐ろしい声だった。呼吸するのさえ苦しいほどに膨れ上がった怒りが、喉元を締めつけて声を高くしているのだ。それで低い声が出せなくなっているのだ――。
 クラークは、早口ながら落ちついた声で答えた。
「連中、薬に飢えたエイミに、よほど濃いやつをくれてやったんだろう。急性の中毒に近い状態になっとる。おまけに連中、薬の他にも、いろいろとくれてやったらしいな。……中には、よほどひねくれた趣味の持ち主もいたようだ。関節がいくつか、器用に外されとる。この状態なら、普通の人間にゃ無理な恰好も、いろいろと楽しめたこったろうよ」
 クラークはそして、誰に言うともなく「ごめんよ」と呟き、エイミの股間に指先を当てた。そして軽く周辺を探り、その指先を目で検めた後、瞼を閉じて首を横に振った。
「可哀相に、こっちもひどい状態だ。しばらくは使いものになるまい。……その上、初めてだったようだな。ヴィレンよ、この娘はおまえさんの恋人じゃなかったのか?」
 ヴィレンは無言だった。ただ無言で、壊れた人形のようなエイミをじっと見ていた。
 リンゴーがごく冷静な調子で尋ねる。
「で、先生。どうですかね? エイミは助かりますか?」
 クラークは鞄から小さな瓶や器具を手早く取り出しながら答える。
「多分、な。処置が早ければ、時間こそかかっても肉体はどうにかなるだろう。心臓もかなり弱っているが、一時間……いや、三十分以内にちゃんとした設備の整った病院に担ぎ込めば、なんとかなるはずだ。もっとも、多少の傷痕は残ることになるだろうがね」
「三十分、ですね」
「ああ。確実な線はな。それでも、脳……と、心の方までは保証できんよ」
「いや。それだけわかれば充分です。じゃ、行きましょうか」
「ああちょっと待て。強心剤を打つ。これだけでもずいぶんと違ってくるはずだ」
 言いながらクラークは、空気圧注射器で薬を打ち込んだ。プシュッ、と鋭い音がした瞬間、エイミの体がびくんと跳ねたように見えた。リクは、それがエイミの生の証に思えて、ほんのわずかではあれ、気持ちが落ちつくのを感じた。
「しかしなリンゴー」
 クラークは、鞄とともにエイミを、軽々と肩に担ぎあげながら問い掛ける。関節を外されているというエイミの手足が、まったく力を失ってぶらぶらと揺れる。
「ここから一番近い病院ったって、まず下に降りて、下に溜まってるだろうヤクザどもを排除して、となると、三十分じゃ間に合わんと思うぞ」
 リンゴーは首を横に振り、「いや」と答えた。
「先生、“上”の方には行ったことはないんですか?」
「いや、ないわけではないが……そうか!」
 リンゴーは頷いた。
「ここは二十六階ですからね。降りるよか、登った方が早い。階段を使ったって、たかが四階。数分とかからないはずです」
「うむ。なるほど。……いや、だが、俺は“上”の連中とはあんまりつきあいがないからなあ。おまけに麻薬の患者なんてことになったら、ますます敷居が高い。処置をする前に司法局が出てきて、取り調べを先に、なんてことになったら、目も当てられん」
 リンゴーは「ごもっとも」と呟くと、腕組みをして瞼を閉じた。

(続く)