かどいの『I'm in Rock!-Ⅱ』

ある文筆業者(分泌業者ではない)の生存証明。基本的に毎日更新。

魔少女・由衣 闇狩り【#2】逃亡−05

(承前)

 男がろれつの回らない口調で、言った。
「化けたんだ……俺に復讐するために、お前、化けて出てきたんだなっ」
 だが由衣自身も怯えていた。ひたすら驚き、恐れていた。
 やってしまった。“能力”を使ってしまった。自分が、やったのだ。
 由衣は震えていた。逞しい男ひとり、軽々と吹き飛ばした自分の力が恐ろしくてならなかった。確かに自分は、男が怖いと思った。掴む手を離してほしいと願った。けれども、こんなことを望んだわけではなかったのだ。
 にもかかわらず、自分は……。
 男は手足を震わせながら、体を起こした。
 立ち上がることができず、折れた手首では腕を張ることもできずに、男は肘と膝で四つん這いになり、車の荷台に向かってずるずると動いていく。
 口がもごもごと動いている。何かを言っている。
「……わかってるよぅ……悪かったのは俺なんだ。俺が悪いんだ。でも、でも……」
 男が咳き込んだ。ごぼごぼと湿った咳とともに、暗色の液体が男の口から飛びだした。じっくり見なくても、それが血の塊であろうことはわかった。
 男は不自由な四肢で荷台によじ上り、巻かれていたカンバスに手をかけた。両端を縛っている紐を、歯と、思い通りに動かない手で、不器用にほどく。ばらり、と紐が外れた時、カンバスは崩れるように開いた。
 途端に、言いようのない悪臭が弾け出て、まだ車内にいる由衣の鼻腔にまで届いた。
「あっ」
 中から現れた物を見て、由衣は慄然とした。
 全裸の女……の、部品、だった。
 首のない体。腕。脚。
 男は、体をぎくしゃくと揺すりながら、宵闇の中で、奇妙に白っぽく濁った色にぼうっと浮かびあがる女の部品たちに、すがりついた。
「悪かったよう……ごめんよう。あんなに抵抗されるなんて、思わなかったんだ。動転してたんだ。殺す気なんか、なかったんだよう」
 目が尋常ではない光を帯びている。男はいつの間にか、その口許をほころばせていた。
「な? 悪かったよ。だから、化けて出るなんて、やめてくれよぉ。俺が悪かったから、やめてくれよ……やめてくれよぉ。うう……うふ……うふふふふふ……」
 男は女の残骸を抱きしめ、声を出して笑い始めていた。
 笑い声の間に、切れぎれの言葉が混ざる。
「そうだよなぁ。俺が悪いんだよなあ、くふふっ。やめて、って言われて、やめればよかったんだよなあ。でも、横っ面ひっぱたかれて、頭に血がのぼっちゃったんだよ。はははは。『何様のつもりよ!?』なんて言われて、『あんた自分の顔、鏡で見たことある?』なんて笑われて、『間抜け』って、『田舎者』って罵られて……クックックッ……キレちゃってさあ。でもやっぱ、悪いのは俺だよなあ。ごめんなぁ、ごめんよぉ」
 男は笑い呟きながら、女を──日に晒されたカンバスの中で蒸らされ、奥からじくじくと腐り始めている、もはや血も流れ出なくなった女の残骸を撫で、その弾力を失った肌に頬ずりをし、舌を突き出して舐め回している。
 由衣は震える指先で車のドアを開いた。
 がちゃり、という音に、男がゆっくりと振り返った。その緩慢でぎこちない動作は、油が切れ、壊れてしまった人形のようだった。
「……まだ、いるのか?」
 男が呟いた。
「まだ、あの世に戻ってくれないのか? なあ、頼むよぅ。もう、もう消えてくれよぅっ」
 男は女の残骸にしがみつき、荷台の上をごろごろと転がりながら泣き声を漏らした。その拍子に、女の部品から、明らかに血ではない暗色の液体がぶしゅぶしゅと溢れ出た。
 由衣は男の狂態から目を離せず、そのまま数歩、あとじさった。男は相変わらず残骸に取りつき、詫びながら震えている。
 由衣は耐えられなくなって男にくるりと背を向け、片手にデイパックを握って、走り出していた。
「行っちまえ……行っちまってくれぇ」
 男の声だけが聞こえる。
 遠くへ! 早く、遠くへ!
 由衣は走りながら心の中で叫んだ。
(つばさ!)
 着ていたポロシャツが、急に狭苦しくなった。う、と息が詰まった次の瞬間、パンッと音を立ててポロとブラジャーが弾け、由衣の背に黒々とした翼が生まれていた。
(空!)
 カラスのそれのような翼は鋭く羽ばたき、由衣の体をふわりと宙に持ち上げた。
「飛んだ……羽生えて飛んだ! ぎゃはははは! 帰れ、行っちまえぇ! 俺が送ってやったあの世に帰ってくれえ!!」
 男の叫ぶ声が聞こえた。
(あのひとは何をしたひと? 私になにをしようとしたの? あのひとは何が欲しかったの? あのひとは……私は、そして私は、どうすればよかったの?)
 涙が急に溢れ出した。ひどくもどかしい思いに囚われて由衣は、背中にいっそう力を込めた。
 由衣は一気に高みまで舞い上がり、そのまま夜空に溶けるように飛び去った。

(続く)