かどいの『I'm in Rock!-Ⅱ』

ある文筆業者(分泌業者ではない)の生存証明。基本的に毎日更新。

魔少女・由衣 闇狩り【#6】闇狩り−06

(承前)

「え?」
 男は、由衣の言葉が信じられなかったようだ。わざとらしく片手を耳に添え、遠くの音を聞き取ろうとするようなポーズを取って、再び言った。
「ねえ、わたしのカノジョになりなさい、って言ったんですよ。このわたしの」
「だから、お断りします、って言ったんです」
「うーん、素直じゃないなあ。だって、正義の味方なんですよ。こんなすごい力があるんですよ。断れるわけ、ないでしょう?」
「お・こ・と・わ・り・します!」
 男の顔色が変わった。
 今し方までの、タガの外れた笑顔ではなくなった。唇を憮然とヘの字に曲げ、眉間には皺まで刻んで、男は言った。
「わかんない子なんだなあ。わたしがその気になれば、キミだって簡単に」
 言って男は、周りを飛んでいる腕のうち、一本を睨みつけた。
 途端にそれは、ばしゃ、と水っぽい音をたてて四散した。細切れの肉片と血が、周囲に飛び散る。
「こうゆう具合に、なっちゃうんですよ」
 勝ち誇った笑みを、男は浮かべた。
 由衣は、けれど、顎をひいて男を睨んだまま、言い放った。
「どうぞ。できるものなら」
 男は一瞬、苛立ちを顔に浮かべた。だがすぐに余裕の顔つきとなり、言った。
「ま、いいか。こんな小便臭そうなガキに構わずとも、わたしには力があるんだ。街でいくらでも、いいオンナが釣れるさ」
「それが正義の味方の言うことですか」
「……とことん生意気な子だね。その口、地獄に堕ちてから後悔しなさい!」
 男の視線が、真っ直ぐに由衣を向いた。
 由衣の目には、見えた。
 何か、塊のようなものが男の前に膨らむ。空気そのものが歪み、凝縮されたようだった。それがレンズになって、男の姿を歪めた。
 急速にそれが近づいてくるのが、わかる。
 どうすればいいか、わからなかった。
 だが由衣の体は、それを記憶していた。
 その空気の歪みを、由衣は睨みつけた。
(消えろ!)
 そう思った途端、由衣は、自身の目の前に、間違いなく自分に優しい光が固まったのを見た。
 バン!
 分厚く大きな木の板を打ち合わせたような、耳をつんざくほどの音が鳴った。
 男が放った力が弾かれ、室内に飛び散った。散らされたそれは爆風になって、机やソファの類を、散らかっていた切れぎれの肉片とともに壁へと吹き飛ばした。
 その爆風に煽られて、男の周囲を飛び回っていた破片たちもまた、壁に叩きつけられた。
 そして、男もまた、ぐらり、とよろめいた。
 男の顔に、呆然とした表情が浮かぶ。
「な……なんだって?……なんだと!?」
 男は目を大きく見開き、わめいた。
「いやいやいや、冗談でしょう。冗談だ。この世に正義の味方が二人もいるわけがない。冗談というより、間違いだ。間違いは修正! 削除!」
 男は両手を握りしめ、背を丸めて、うおお、と吠えた。途端に、さっきよりもひとまわり大きな歪みが、男の周りに生まれる。
 由衣は両手を胸の前で交差させ、心の中で叫んだ。
(跳ね返せ!)
 男から飛んできた二発め、最初の一撃より数倍は強い力の塊を、由衣は苦もなく跳ね返していた。再び男の力は飛び散り、部屋の中を荒らす。
 弾き返す手応えを全身に感じたと同時に、由衣は、男に向けて片手を真っ直ぐに伸ばしていた。そして、美弥が階下の屍体にしたように、指先を男に向けた。
「行け!」
 由衣が叫んだ瞬間、その指先から、図太い光束が迸った。それは、男が放つものとは桁が違う、美弥が階段室の鉄扉を吹き飛ばした時のものにも匹敵する強烈な光束だった。
「なにィッ」
 正面を直撃するかと思った光束を、けれど男は、すんでのところでかわした。由衣の力が、男の背後の壁にぶち当たる。壁が、ぼごん、と鈍い音をたてて抜け、直径が一メートル半以上もありそうな大穴が開いた。文字通りに粉砕された破片が、外に飛び散る。
「な、なんだ、なんなんだいったい。これ、おれだけの力じゃなかったのかようっ」
 男は明らかに狼狽していた。それはそうだろう。戦いに慣れた暴力団員を鮮やかに屠った自身の力を軽々と弾き返し、あまつさえそれ以上とも思える力を放つ、しかも自分より二十歳は年下の少女に、いきなり出くわしたのだから。
「ふざけるな、ふざけるな、ふざけるなっ。わたしがどれだけつらい目に遭って、どれだけ苦労して今日まで生きてきたと思ってるんだっ。この力は、そんなわたしへのねぎらいなんだ、ごほうびなんだっ。それを小娘が、青臭いガキが! 生意気なっ!!」
 男はまくしたてながら飛び跳ね、由衣から離れた。そして壁を背にして再び背を丸め、歯を剥き出して由衣を睨みつけた。みたび、力を放とうとしている。
(あいつに、戻せ!)
 由衣は前に突き出した両手の、てのひらを開いて、そう念じた。そのてのひらに、力強い、けれども目には見えない何かが、はっきりとした質感を備えて貼りついた。それは素早く拡がり、大きな楯となった。
 男はそれに気づかず、ぎゃおう、とわめいて、力を放った。
 それは由衣の楯にものの見事に弾き返され、男めがけて真っ直ぐに舞い戻った。
 悲鳴は、聞こえなかった。
 代わりに、重く大きな、ズウン、という音が響いた。
 由衣は緊張を解いた。同時に、手にあった楯の感触が消える。
 男が、自身の放った力の直撃を受け、壁に叩きつけられて、昆虫採集の標本のような大の字の磔になっていた。
(……やったの?)
 由衣は、壁の男を真っ直ぐに見た。
 かなりの衝撃を受けたはずながら、その体は潰れてはいなかった。体のかたちのまま、壁にめり込んでいる。まるで、アメリカのスラップスティックアニメの一場面のようだ。
 だが、驚愕の色に染まった目は、大きく、虚ろに見開かれたまま床を向いている。その目に滲む陰惨な色が、これがコメディアニメではないことを証だてていた。その下の貧相な鼻と、唇の薄い口からは、男自身のものらしい濃く濁った血が溢れ出ている。
(まさか……ね。こんな風になったら、さすがに悪魔だって)
 由衣は男に背を向けた。美弥を探さなければ。あの衝立の中に埋もれているはずの美弥を。
 そして報告するんだ。私、わかったかもしれません。見つけたかもしれません、って。
 そして、私は……。
「……う・そ・だ……」
 背後から聞こえてきたその声に、由衣は竦み上がった。
 ゆっくりと、振り返る。
 壁に体をめり込ませ、視線も床に向けたままで、男が呟いていた。
 どす黒い血をだらりと垂らした唇を、ひくひくと震わせながら、男が呟いていた。
「こんな、はずは……ない。わたしは、負けないんだ。わたしは、選ばれたんだ……正義の、味方、なんだ……」
 男の体が、異様な蠕動を始めていた。
 壁に半ば埋まったまま、腕が、脚が、それぞれ自体が心臓であるかのように、脈動し始めていた。そしてそれは、鼓動のたびに少しずつ膨らみ、壁からはみ出していった。

(続く)