かどいの『I'm in Rock!-Ⅱ』

ある文筆業者(分泌業者ではない)の生存証明。基本的に毎日更新。

ヒビキ隊長かっけぇ(本編!)

 やっと書く気になったらしいよ。
(前編⇒ヒビキ隊長かっけぇ[という話のはずが]/2018.10.09/https://st79.hatenablog.com/entry/20181009/1539082610

 SuperGUTSのヒビキ・ゴウスケ隊長はカッコイイ。
 なにがかっこいいといって、まず、あれだけ現場を深く理解していた隊長はいない。
 さすが叩き上げ(参照/『ウルトラマンダイナ』第43話『あしなが隊長』、劇場映画作品『ウルトラマンティガ THE FINAL ODYSSEY』他)。てっぺんから降りてくるような連中とは違う。現場を知り尽くし、その上でリーダーシップをとれる。隊長の鑑だ。
 たとえば前編(って、去年の秋に俺が書いた分のことね)でも触れたが、ダイナ第41話『ぼくたちの地球が見たい』での男前っぷりはどうよ。
 種々の事情から宇宙に孤立する少年少女たち。彼らを誰もが助けたいと思う、しかし救助は非常に困難で、かつ彼らの生存にこだわり過ぎると地球上で何百万という人間が死ぬことになりかねない。
 この場面で少年少女たちを“見捨てて”、何百万人を救おうとする参謀を、ヒビキ隊長は(救出作業は)「やってみなけりゃわからん!」と一喝する。
 その毅然とした姿ったら!

 もちろん、参謀だって間違っちゃいない。というより、むしろ参謀が正しい。
 だが、その“正義”の前に、まず果たさねばならないことがあるのではないか。
 なぜなら、護るべき何百万の命も、宇宙に孤立した少年少女たちの命も、等しく命なのだから。安易にあきらめてはならない、何百万であれ一であれそれぞれが命であることにかわりはない。これは現場を知る者――自分自身が命の当事者であるからこその意地、命を護る組織たるSuperGUTSの隊長ヒビキ・ゴウスケの信念だったのだと思う。
 そう、命の当事者。
 これ近年ずいぶん忘れられていることなんだよねえ。というのも……おっといけない。また横道へ深く深く入ってしまうところだ。こらえろ俺。とにかく個々が当事者であることが忘れられているんだよなあ最近はなあ。みんなアレもコレも対岸の火事だと思ってるだろ? ばーか、違うんだよ。

 ともあれ、あの一喝には胸のすく思いがした。
 もっともこの回(例によって太田 愛シナリオだ)(詳しくはこちら⇒2017.07.15 『ダイオリウスが憎めない』https://st79.hatenablog.com/entry/20170715/1500137057 にて)、とにかくもう出てくるひと全員が最高にイカしている。
 SuperGUTSの隊員たちはもちろん、宇宙船ガゼル号の船長、クルー、か弱いはずの少年少女たちまでが、全員ヒーローでありヒロインだった。個人的には若造クルーの真司が大のお気に入り。冒頭ではコパイ春川の死にあんなにビビッてたクセに、てめえこそまだ人生半ばにも届いていないガキのクセに、「船長はこどもたちを!」とか言って危険目一杯のサブコントロールルームへ単身向かうとか、どんだけがんばっちゃってんだよ。若いお嬢さん方、彼氏にするならああいうヤツにしなさい。彼をフッたという月面女子はホントもう見る目がないったら。
 とにかく、ぼくたま回はものすごーくよい。
 ウルトラにぜんぜん興味がないひとにも、あれだけは観てほしいと思うぐらいだ。

 その他のエピソードにおいても、ヒビキ隊長は常にかっこいい。
 というかダイナでは、シリーズの基本構築としての大団円→基地でのくつろぎ、というフォーマットがわりと堅実に守られているため、自然と最後に隊長が場を締める例が増える。そのたびに男前を発揮してくれるわけで、これは文字通りの役得ではある。
 しかし、それをきっちり背負うには、役者さんの適性というものもあるわけで、これはやはり木之元亮氏が元から備える個性に負うところも大きいはずだ。
 時々「あぁロッキーがあんなことにならずいずれどこぞの署の課長にでも収まっていたら、こんな具合になったのかもしれないなあ見たかったなあ」と思ったりもする。

 ただ、ここで今一度考えたいのは、そも隊長とはどうあるべきものか、ということだ。
 ヒビキは果たして本当にトップオブザ隊長なのか。
 それを確かめるためには、隊長の理想像を検証しなければならない。
 これはそう簡単なことではないよ。なぜなら、隊の任務や個性により、求められる隊長像が当然のごとく違ってくるからだ。

 たとえば科学特別捜査隊(『ウルトラマン』)はどうだったか。
 そもそも科特隊は戦闘部隊ではない。国際科学警察機構の一部門で、ふつうの警察では対処できない怪事件の捜査を主任務とする、いわば「すげえおまわりさん」だ。
 宇宙時代となり、その任務は地球内部だけの事件にとどまらなくなった。そういう設定があるから、最初の“敵”は「宇宙の平和を乱す悪魔のような怪獣」で、ウルトラマンはそれを宇宙の墓場へ護送する途中だった……なんて話になっていたりもする。つまりはウルトラマンも宇宙の警官みたいなものだってわけだね。まあ確かに後日、宇宙警備隊なんて設定が表へ出てきたりもするし。警官同士、共闘にも納得というところか。
 そういう組織である以上、怪獣の殲滅ばかりが任務というわけではない。目指すのは事件の調査と事態の収拾であって、だからムラマツキャップの行動規準は常にそこへ置かれている。被害を最小限に食いとめ、然るのちに原因の追求・処理に向かうのだ。
 だから、現場担当として最善は尽くすが、たとえば第23話『故郷は地球』では、パリ本部からの使者アラン氏の下した排除命令に対して歯向かうことはない。上部が決定した処理方針に従い、事態の収拾を図ることがムラマツキャップの仕事だからね。
 もちろんそれは、ムラマツキャップが無情だとか無能だということではない。渦巻く無念を呑み込んで任務を遂行する、これもストイックな隊長の姿なのだ。(まあでも第34話『空の贈り物』では、ジェットビートルにコウモリ傘を届けさせるというとんでもない公使混同をやっているんだが)(てゆうか、そんな高空から落としたら、傘、着地の頃にはどんだけの落下エネルギーを蓄えちゃってるんだよ)(地面に穴じゃすまんぞ)

 地球防衛軍ウルトラ警備隊(『ウルトラセブン』)のキリヤマ隊長はどうか。
 これはもう完全に軍人であり、たとえ精鋭チームの長とはいえ、大きな組織の中のひとり、一管理職という立場になる。当然、ムラマツよりさらに厳しい束縛を受けている。
 だから、参謀ら上司に歯向かうことはない。ただ淡々と現場責任者としての責務を果たす。わずかに一度、隊服を脱いで行動したことはあったが(第23話『明日を捜せ』)、それくらい私情と任務は分けている。そうしなければならないことを熟知している。
 こういう立場にあっては、ヒビキのように独断でコトを考えたり進めたりすることは元からない、あり得ない。もちろん現場での対応において相応の自由度はあるにせよ、その範囲や限界は誰よりキリヤマ隊長自身がよく知っている。いわゆる“分(ぶ)”というやつだ。だからこそ占い師の安井の件では、私服で行動する。
 これもこれでなかなかいい。管理社会において自身の熱情をどうコントロールするかをよく知った、おとなの魅力というものがある。
 そして、それが“任務”と確実に繋がった時の「みんな、俺について来い!」の台詞、その時に一瞬見せる笑みには、常は押し隠しているキリヤマ自身の男気が感じられて、おおいに魅力的だった。
 だが、それはかっこいいのかといわれると、ちょっと考えてしまう。

 なお『明日を捜せ』でマナベ参謀から“拝借”したのは、コルトコマンダーピストルと思しい。プロップはCMC製モデルガンがベースと見える。トリガーガードの四角ばった感じやスライドエンドの角度、リングハンマーの異様なデカさがソレっぽいのだ。でも、グリップセフティのかたちがなんかヘンなんだよなあ。わざわざスライド前方にステップをつけているのも謎。銃口を見ると発火用に加工してあるっぽいので、あれはステップというよりは電着ギミックを仕込むための分解機構なのかもしれない。また、出先でダンと遭遇した時のやりとりでは、なぜかマガジンが抜けている。マナベ参謀から受け取った時にはちゃんと入ってたんだけどねw(その場面から1型ではなく2型と判断) 一応アップ用と発火プロップの別はあるということなのかもしれないが、どーせ撃たないんだから全部ヒーロープロップでよかったんじゃね?
 そして、キリヤマ隊長のさりげなくも早いドロウ(ホルスターからの銃引っこ抜き)は地味に見どころ。スーツの前を乱さずショルダーホルスターからするりと抜く、その澱みない動作はえらくシャープでイケている。
 ところで、安井がシャドウ星人に拉致され拷問を受けている時、安井に計画を見抜かれたシャドウ星人が「恐ろしい奴だ」と言う場面があるんだが、ここでの安井って、一の次は二っていうくらい、ふつうに考えて至る結論を言っただけなんだよねえ。
 シャドウ星人、もしかしてものすごーく地球人をナメてないか?

 中ずっと飛ばして(加藤隊長、竜隊長、朝日奈隊長、モロボシ隊長、オオヤマ隊長ごめん)、GUTS隊長イルマ・メグミ、現場リーダーのムナカタ・セイイチ(って絶対に誠一だと思う漢字で書いたら)両氏はどうだろう。
 もともとGUTSは調査が主な任務だったとのことだし、それ以前にTPC(地球平和連合)創設前に各国はサワイ初代総監の尽力で武力を放棄しているわけで、当然TPCも非武装集団。これまた戦闘隊ではない。そこへ怪獣が現れて急遽方針変更をするから、イルマもムナカタも軍人ではない。どちらかといえば警察寄りの組織だったのだろう。
 それがいきなり星間侵略闘争とか怪獣駆除とかに駆り出されたんだから、いろいろな齟齬とか逡巡はあって当然なのだが、イルマもムナカタもぜんぜん動じる気配がない。こいつらかなりデキる、という印象だ。特にムナカタは、ジャーナリストのオノダに絶賛されていたりするし(第5話『怪獣が出てきた日』)、バリバリの現場派といえそうだ。
 一方イルマは、かなり早い段階でダイゴ=ティガ仮説に辿り着いていたようだし(遅くとも第44話『影を継ぐもの』の時点では気づいていると考えるべきだろう)、隊の頭脳としては歴代トップの実力があるといっていいと思う。智将だ。
 だいたいさあ、よくよく考えるとね、「人間が変身して巨人になる」って、ふつうのアタマじゃ追いつかない発想なんだよ。俺らふだんから特撮見てるからね、そういう発想もあるけどね。“ふつうのおとな”がそれを考えるのって、大変なことなんだよ。おとなであるゆえに“現実”に追いついてゆけないんだねえ。第13話『人間採集』で、人間サイズのティガと遭遇してうろたえるホリイの反応が“ふつう”なんだ。(そういうとこも緻密なんだよ、ティガっていうシリーズは)
 だが、クールビューティのイルマ、その忠犬のごときムナカタは、そのポジションにおける徹し方や能力の高さが極めて印象的ではあるものの、かっこいいのかというとこれは微妙に違う。もちろん憧れるものを備えているし、頼り甲斐もある。時に人間としての弱さを見せてくれたり、逆に思いがけないパワープレイを展開してくれたりもする。魅力的だ。だがそれらは、かっこいいのとはまた違う。
 とはいえGUTS、チームとしての信頼度は一番高い。(次点=科特隊)

 ……と並べてみると、突出してヒビキ隊長の個性が際立っているのがわかる。
 その個性は、組織にありながら組織に呑まれず、かといって組織をないがしろにするわけでもなく、個人の信念に基づいて行動しながら決して則(のり)を越えない意外なクールさに裏打ちされている。またヒビキは、常に学び続ける者でもある。『あしなが隊長』で少女の差し出した花束を受け取る時などは、真摯にその心と向き合い、対等どころか少女より下の立場の者としてその“教示”を容れる。
 こういうところひとつひとつが、かっこいいのだ。
 ウルトラマンは、人 事を尽くして天命を待つ、その時にもたらされる奇跡の力として描かれる。ひとが尽くすコト、それはさまざまに描かれるが、ダイナではしばしばそれをヒビキが代表しておこなっている。
 第26話『移動要塞浮上せず!(後編)』での絶叫が、ある意味すべてを語っている――
「……地球がピンチなんだ……聞こえるか、ダイナ!……おまえが何者で、なぜ俺たちのために闘うのかは、知らない。……でも! この星のことが好きなら! 人間を、俺たちの仲間を嫌いじゃなかったら! もう一度、立ち上がってくれ!!」
 これが言える隊長。
 それが、ヒビキ・ゴウスケなんだな。
 ムラマツが、キリヤマが、イルマがムナカタが、こういう言い方をできるだろうか。
 言ったところで、サマになるだろうか。
 立場のことはある。預かるべき任務はある。だがそれ以前に、屹立するヒビキという個人がある。
 ヒビキには、“私”があり、“隊長”という立場があり、正味の危地に置かれた人類すべてを護ろうとし、そしてその代表としてものを言う意気地がある。
 時として矛盾し合うそれらを、ヒビキ・ゴウスケという男は、すれすれの綱渡りで全部実現しちゃっているのだ。
 これがねえ。
 かっこよさ、ってもんだと思うんだな。

 ヒビキ隊長、かっけぇ。