かどいの『I'm in Rock!-Ⅱ』

ある文筆業者(分泌業者ではない)の生存証明。基本的に毎日更新。

今、必要なことばは

 地震の騒ぎは、まだまだ続いているね。というより、これから先がむしろ本番なのかもしれないよね。いろいろとね。
 報道もいろいろ。基本的に自分は、テレビはNHKとテレ東しか見ないし(他局はレベル低すぎるからねえ、なにしろ動機が全部カネだし)(いや、カネ儲けが悪いとは思わないが、手段と目的の間に横たわるギャップがいかにも問題だってことなんだ)(といってもそれは、今日の本題じゃあないから、どーでもいいっていえばどーでもいい)(いずれにせよ、テレビになにかを期待しないようになって早二十年。マジどーだっていいんだよ、あの媒体は)、新聞も取っていないし(これまた二十年ぐらい前、筒井先生の断筆絡みの記事を朝日新聞で読んで以来、新聞もダメだなと確信しちゃったのでね)、ウェブでニュース漁るのがせいぜいなのだけれども、それにしても画一化されきった表現ってどーなのよ、って思うなあ。
 たとえば。
 どこもかしこも「未曽有」の大安売りをしている。
 そりゃ確かにものすごい災害だとは思うが、未曽有っていうほどか。
 いや、被害が少ないとか軽いって意味じゃないよ。未曽有ってのは、未(いま)だ曾(かつ)て有らず、ってことでしょ。それは当たっていないんだ。たとえば、こんな記事がある。



東日本巨大地震で沿岸部が津波にのみこまれた岩手県宮古市にあって、重茂半島東端の姉吉地区(12世帯約40人)では全ての家屋が被害を免れた。(中略)
 地区は1896年の明治、1933年の昭和と2度の三陸津波に襲われ、生存者がそれぞれ2人と4人という壊滅的な被害を受けた。昭和大津波の直後、住民らが石碑を建立。その後は全ての住民が石碑より高い場所で暮らすようになった。(中略)
 巨大な波が濁流となり、漁船もろとも押し寄せてきたが、その勢いは石碑の約50メートル手前で止まった。』
(2011.3.30 07:22 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/feature/20110316-866918/news/20110329-OYT1T00888.htm



 石碑には、こんな文言が刻まれていたそうな。
「此処(ここ)より下に家を建てるな 高き住居は児孫(じそん)の和楽(わらく) 想(おも)へ惨禍の大津浪(おおつなみ)」
 ね。未曽有じゃないんだ。過去にもあったの。それも、昭和や明治という、比較的近い頃に。
 こんな記事もある。



産業技術総合研究所宍倉正展さんは(中略)宮城、福島両県のボーリング調査などから、869(貞観11)年に東北地方を襲った巨大地震津波の実態を解明し、「いつ、再来してもおかしくない」と警鐘を鳴らしていた。』
(2011.3.28 19:28 産経ニュース)
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110328/dst11032819290055-n1.htm



 ね。未曽有じゃないでしょ。
 繰り返すけど、未曽有じゃないから大変じゃない、という意味じゃないよ。未曽有ということばがふさわしくない、ってことなの。「いやしかし、現代という意味では……」いや、未曽有ってことばをそんなに安っぽくしなさんな。過去十年二十年のスパンで未曽有とかいわれてもな。ことばには、ふさわしい使い方というものがあるんだから。だいたい今、未曽有未曽有と繰り返してる皆さんも、太郎さんが読み間違えなかったら、未曽有なんてことばを使う気にはならなかったんじゃないの? そういうチャチな動機で、こんな重いことばを濫用するのはどうかってことなの。こんな恐ろしいことばを。



「壊滅的被害」ってことばもまた、心に刺さりまくって仕方がない。
 これは、用い方は正しいと思う。まさに壊滅なのだと思う。
 だからこそ心に刺さる。

 壊滅なんてね、そう滅多にあることじゃないよ。でも今回は、本当に壊滅した集落が、村が、町が、市街が、いくつもある。恐ろしいまでにそれはまさしく、壊滅状態だ。
 それは、自然のちからを前にしたら、人間の営みなんてどれほど儚いものであったかを、明確に語る。再び人間が営みを積んだとしても、もし今ひと度、自然ってやつが気まぐれを起こしたら、やはり届かないのだろうと思わせるほどのありさまを呈している。
 そう、それはまさしく壊滅なのだ。
 だからそれを壊滅と繰り返されると、気が滅入る。
 脆弱さを思い知らされる。
 起き上がる気力も萎えてしまうよ。

 壊滅状態。それは正しい。
 けれど、壊滅ということばには、未来も希望も感じられない。
 現状は確かに確認したよ。したから、次を希むための手だて、立ち上がり前進するためのことばがほしい。繰り返し「壊滅」といわれると、やる気がなくなっちゃう。
 いい加減、厳しいことばはよそうよ。
 ニュースキャスターも記者も、ことばは専門分野なんでしょ? それなら、ことばに気持ちをこめてくれ。今、必要なのは、倒れた姿を仔細に表現することばじゃなくてさ、倒れてもまだ残っているはずの希望を探し出すことばなんじゃないか。
「ひどい被害」でもいい。「大きな被害」でもいい。とりあえず、「壊滅」――こわれほろびた、ということばに含まれる“再生の否定”を、できるだけ感じさせないことばに、置き換えてほしいんだよ。それって難しいの?



 まあ、マジことばを知らないってんだったら、仕方ないんだけど。