かどいの『I'm in Rock!-Ⅱ』

ある文筆業者(分泌業者ではない)の生存証明。基本的に毎日更新。

【Ringo the Wight/#1-12】

(承前)

「どうすんだ、どうするつもりなんだよ! あいつ……俺の、いや俺たちのために、クソ虫どもを追い散らそうとしてくれたあいつを撃っちまうなんて! ヴィレン!」
 かがみ込み、ヴィレンの襟首を両手で掴んで揺さぶりながら、リクが怒鳴る。
 ヴィレンはただ歯を食いしばって、されるがままになっていた。その瞳はギリッと横を睨み、眉間には険しい皺が刻まれている。
 リクはヴィレンを突き飛ばすように放すと、くるりと振り返り、リンゴーを見た。
 リンゴーは仰向けに倒れたままだ。前を開いていたジャケットの中から、湯気が立ちのぼっている。腥い血のにおいがする湯気だ。見れば、着ていたシャツはもう鮮やかな紅色に染まり、水気を帯びた鈍い光を放っている。
「リンゴー! リンゴー! ああ……ああ、俺なんてことを頼んじまったんだ。こんなことになるなんて……あんたを死なせちまうなんて!」
 リクはその場に両膝をついた。真っ直ぐにリンゴーを見るその目から、だくだくと涙が溢れている。悲しいのか。違う。悔しいのか。それも違う。何故かわからない、ただリンゴーが今、目の前で倒れたということ、その事実そのものがリクを泣かせていた。ほんの二日ほど前に知り合ったばかりなのに、この喪失がものすごく巨大なものに思えていた。
 とにかく涙が止まらない。そして泣く以外に、今、できることが見つからない……
 と。
「……うー」
 間の抜けた声がした。
「!?」
 リクは目を剥いた。
 リンゴーの手脚が、ひくひくっと動く。
「効くなあ……装薬銃のタマは」
 ゆっくりと、むっくりと、確かにリンゴーが、その場で上体を起こした。
「!!!!!」
「ヒートレイなんぞと違って、タマに質量ってもんがあるからねえ。棍棒で殴られたような強烈さがあるんだよねえ……。くらうと一瞬、気を失っちゃうんだよねえ」
 言ってリンゴーが、げほげほと咳き込んだ。最後に、ごぇ、と厭な音が混ざる。喉の奥で、ぐぅ、と唸った後、リンゴーは横を向き、口の中に溢れていた血塊を、ぶぇっと吐きだした。
「おいこらヴィレン」
 リンゴーが、いささか力のない声で叱りつけた。
「死んだらどうするつもりだったんだよ、まったく」
 呆気にとられながらリクが呟く。
「……どうする、って……。死ぬぞ、普通」
 その時、大きな悲鳴が響いた。
「わ、わ、わわわーッ! に、人間じゃねええーッ!!」
 格上ヤクザだった。
 見れば格上は、床にへたり込み、ついさっきまでのふてぶてしさ、兇悪さをすっかり失って、コンテナに寄り掛かっていた。あとずさろうとでもしているのか、かかとが地面を蹴っているが、けれど寄り掛かっている以上、それより後ろへ行けるわけもない。
 リンゴーは顔をしかめながら、格上の惨めな姿を一瞥して、呟いた。
「……失礼な。誰が人間じゃないって? おまえらの方がよっぽど人間じゃねえやい」
 格上には、その言葉も聞こえてはいないようだった。ただ、わあ、わあと声を漏らしながら、ひたすら無駄に足を動かすばかりだ。
 怯えを通り越した、強烈な恐怖。それが格上の全身から、溢れ出ていた。
 それは確かに、無理もないことなのかもしれない。なにしろ、死んだはずの人間が起き上がったのだ。誰でも腰のひとつやふたつ、抜かして当然だろう。
 けれど彼は、そういう常識ではおさまらない恐慌に陥っている。ひたすらにリンゴーを恐れて、我を失っている。大概のことには驚かないだろうヤクザともあろうものが、最低の醜態を晒している。
(いや――ヤクザだからこそ、こんな体たらくになるのかもしれないな)
 リクは理屈ではなく、本能的な感覚で察していた。
 ヤクザの行動の根底にあるのは、暴力だ。暴力と、それが放つ恐怖で敵を押さえつけるのが、ヤクザのやり方なのだ。
 彼らの暴力の行使は、敵だけに限定されるものではない。身内の間でも、序列を定めるものは暴力だ。より大きな暴力を振るえる者が、上に立つ。彼らの世界は、暴力を唯一の基準として成り立っている。
 そして究極の暴力は、相手を滅ぼすこと。殺すのであれ壊すのであれ、相手が相手でいられなくなる状況へ追い込むことが、文字通りの必殺技になる。
 ところが、今、彼の目の前にいる男には、そのやり方が通用しないのだ。
 鉛玉をくらって滅びないような相手に、暴力が売り物のヤクザが振るえる力は、ないも同然。もはやこのヤクザに、リンゴーを操り支配する術は、ないのだ。いや、支配どころか、抗う術すらも、ない。
 たった今、彼――格上ヤクザが信奉してきた、すべての哲学が崩壊してしまったのだといえた。それがこの醜態の理由、なのだ。
 今の彼には、自身を支え得るどんな細い柱も残ってはいない。彼は今、親から見捨てられた赤子にも等しい、無力で脆弱なものになってしまっているのだった。
 リクはごくりと唾を飲み込んだ。わずかながら、ヤクザの感じている恐怖が、自分にも伝染したような気分になっていた。
 けれどリンゴーは、ヤクザの、そしてリクのそんな様子にはまるで興味もないといった顔で、んーっ、と唸った。そして、唸りながら、ゆっくりと立ち上がった。
 立ち上がりはしたものの、足元がかなり頼りない。飲みすぎた男のように、危なっかしくふらついている。
「おぉい、リクぅ」
 突然のご指名に、リクは思わず「ハイッ」と甲高い声で叫んでしまっていた。
「医者に、連れてってくれないかぁ? やっぱ痛いし……出血もあるし」
「わ、わかった……けど、こいつらは?」
「ヤクザは放っておいていいよ。格下の方はもう助からないし、格上のやつだってしばらくは使いものにならないだろう。司法局も気にしないでいい、こいつらの内輪揉めで片づくだろうからね。こいつらのボスが、そういう方向に片づけるはずだよ。ああ、ヴィレンの使った銃は俺にくれ……これ残していくと、なにかと面倒だから。それから、ヴィレンも連れて行くよ」
「うん。……でも……」
「でも、なに?」
「リンゴー……大丈夫なの?」
「大丈夫なわけ、あるかぁ。撃たれたんだからね、俺は。だから、医者に連れてってくれ、って言っているんだよ」
「あ、ああ。それはそうだけど……。でも、なんで……どうして……」
 リンゴーは、ああ、と頷き、あの暖かい笑みを浮かべて言った。
「俺は、死なないんだよ。それが俺の、たったひとつの取り柄なのさ。だけど……」
 リンゴーはまた咳き込んだ。そして、ごぇ、ぐぅ、ぶぇっと血塊を吐き出す。よく見ればリンゴーは、死んでこそいないものの、顔色がかなり悪くなってきている。
「さすがに、背中のこの辺に残ってる弾を抜いてもらわないと、苦しい。肺からの出血も止まらないしね」
 さあ、と促され、リクは、ヴィレンを抱えて立ち上がった。
 リンゴー、リク、ヴィレンの三人が、それぞれもつれあい支えあうようにしながら、出口へと歩いてゆく。
 出口をくぐる間際に、リンゴーは中を振り返った。
「あんた」
 呼ばれて、まだコンテナに寄り掛かったままの格上が、呆然とリンゴーを見た。
 悲鳴も足掻きもすっかり収まり、今はただ糸の切れた人形のようにぐったりとしている。
 目つきは虚ろ。頭はゆらゆらと揺れ、だらしなく開いた口からは今にも涎が垂れそうだ。
 リンゴーは、格上のその惨めな姿をわずかも気にすることなく、少しだけ力の戻った声で、はっきりと言った。
「いいかい。この辺から手を引きな。でなきゃ……」
 長い腕がぶぅんと持ち上がり、指先が真っ直ぐに格上の額を指す。
「夢に出てやるぜぇ。毎晩!」
 そしてニヤリと笑い、くるりと背を向けて、倉庫から出ていった。

(続く)