かどいの『I'm in Rock!-Ⅱ』

ある文筆業者(分泌業者ではない)の生存証明。基本的に毎日更新。

【パニッシャー】(後編)

(承前)

 決行は早い方がいい。アイツのことばに従ってボクは、その日のうちに片をつけることにした。アイツは軽くオッケーと言った。
 ともあれ、まだ明るいうちから物騒なことをする気にはなれない。
 アイツと会ってたのは夕方ぐらいだったから、ボクはそのままアイツんちで時間をつぶそうと思ったけど、アイツが『オレにもやることあるから』って言うんで、一旦家に戻ることにした。
「次に家を出てくる時には、どこへ誰と行くか、誰にも言うなよ。何しろオレたち、文字通り犯罪に手を染めるんだからな」
 アイツが言ったことばが、やたら生々しく感じられた。
 そうだよね。これ、犯罪だ。
 口を開けて歩いてたから殴りました……って、そんなの理由にも何にもならない。バレたらボクたちは、ただの犯罪者どころか、異常者ってことにもなりかねない。
 そんなのはごめんだ。
 だからボクは、夜に外出することも、できれば家族に知られない方がいい。
 そう思うと、すごく緊張した。
 でもさ、実はさ。
 ボクはすごくワクワクしてた。
 今までずっとガマンしてたんだ。それを今日、スッキリさせることができる。
 そう思ったら、何かもう、大声でわめきながら走り出したくなるぐらい、それこそからだの芯から、嬉しさが湧きあがってさ。
 終電も近い頃に、音を立てないようにそーっと家から出た時も、アイツんちへ向かう時も、まるで片恋相手にコクってオッケーもらった時みたいに、いや、もしかしたらそれ以上にウキウキしてた。
 自然、足も軽くなった。走った。
 約束した公園に着くと、アイツはもう来てて、足元には何本かの吸殻を落としてた。さすがにもう煙は立ってない。
「じゃ、行くか」
 アイツが先に立って歩き出す。その足どりがすごく早くて、ボクは追いつくのにけっこう苦労した。まるでアイツもウキウキしてるみたいな感じだ。
 どこをどう歩いたのか、憶えてない。ただ気がついたら、人けのない裏路地で、明かりといえばちょっと先の街灯ぐらいって場所に、ボクたちはたどり着いてた。
「前から当たりをつけてたんだ」
 アイツが押し殺した声で言う。
「オマエのこととは別件でさ。ここを見つけてた。この時間になると、ヤツが通る。……いや、ヤツっても、オレもオマエも知らない誰かだ。ただの……そう、本当にただの通りすがりのオッサンだ。
 こんな時間だから、他に通るやつもいやしない。辺りには、ひとの住んでる家もない。自由にお仕置きしてやれるぜ」
 ボクのこととは別件?……いや、そんなのどうでもいいや。ボクはその時、うずうずしてた。胸の真ん中に何か白っぽくてむず痒いものがかたまって、ボクの心臓の鼓動に合わせてどんどん膨らんでいって、そして喉元から飛び出してきそうな感じ。
 もちろんそれは、気持ちの悪いものじゃなかった。むしろ心地よく全身をあぶってくれた。うっかり口を開いたら、途端にそれが外へ迸り出ちゃうんじゃないか。でも外へ出しちゃったらもったいない……そう思えるような、何か。もしも期待ってものに肉体的な感触があるんだとすれば、これが間違いなくそうだ。
「来たぜ」
 アイツがいっそう押し殺した声で言った。
 ボクはアイツの視線の先をたどった。と、汚いコートを着た、見るからにくたびれたオヤジが、ずるずる引きずるような足どりで、街灯の真下を通った。
 その時、ボクは見た。そいつの顔を。
 途端に、今し方までボクの胸を満たしていた“期待”が、いきなり姿を変えた。
 どす黒く、棘々しく、気持ちの悪いものに。そう、それはきっと“怒り”なんだ。あるいは“憎しみ”かもしれない。それとももしかしたらそれは……“殺意”。
「この野郎!」
 ボクは思わず口走りながら、アイツを置き去りにして、そいつに飛び掛かっていた。
「あ、わ、なに!?」
 そいつの口から……たった今、半開きになっていた口から、声が漏れる。
 でもボクはかまいやしなかった。そいつを殴った。正面から。握り拳の関節のとこが、ごりっと痛んだ。
 でも、かまわない。それに、前もってアイツに言われた通り、革の手袋をしてたから、痛いのは奥の関節だけだ。この程度の痛みなら、大したことない。そう、本当に大したことない。
「ぶが。ぎ、きぃっ。ひっ」
 そいつの口から切れぎれに、奇妙な音が出てくる。それが悲鳴だって気づいた時には、ボクはもうそいつに馬乗りになって、めったやたらに殴りつけていた。
 抵抗は全然、なかった。
 いいオトナなのに口をだらしなく開けてフラフラ歩いていた大バカ野郎は、そうして、見事に成敗されましたとさ! あははは! あはははは! あーっははははは!!
 なぁんだ、なぁんだ! こんなことだったのか。こんなに簡単なことだったのか!
 あはははははははは!!!!!!

「おい、そろそろオシマイにしろ」
 アイツに肩を叩かれるまでに、あいつを何発殴ったのか、ボクは全然憶えてない。
 ただ、気がつくと、そいつの人相はだいぶ変わってた。見るとボクの拳も……いや、拳を覆ってる手袋も、意外にあっちこっち破れてた。その奥には、どうもボクのものらしい血もついてるみたいだ。
「逃げるぜ。ついてこい」
 アイツが言って、早足で歩き始めた。ボクは少し心残りな気もしたけど、でもアイツの言うことに間違いはないから、立ち上がってアイツを追いかけた。
 アイツはだんだん駆け足になっていった。ボクはそれについていった。
 いくつの角を曲がったろう?……右へ、左へ、また右へ。……気がつくとボクは、見覚えのない場所に立ってた。
 線路をくぐる地下道みたいな場所。街からは、だいぶ離れたみたいだ。本当なら地下道の中を照らしてるはずの蛍光灯は、半分以上が割れたり切れたりしてて、かなり暗い。
 その地下道の真ん中ぐらいのところにアイツが立ち止まり、膝に手をついて、肩で息をしてた。ボクもかなり息が切れた。
 ボクはアイツに近づいてしゃがみ込み、アイツの顔を下から見上げた。
 アイツがタバコをくわえてる。いつの間に点けたのか、その先にはオレンジ色の火がぽっちりとともされてた。
 目が、合った。
「おう。やったな。気分はどうだ」
 アイツがくわえタバコのままニッと笑う。
「うん、サイコー」
「そうか。良かったな」
 アイツが頷いた。ボクも頷き返して、そして笑った。声が出た。止まらなくなった。地下道の中で声が反響して、わんわんうなった。
 アイツも笑ってた。笑いながら言った。
「まさかオマエが、あそこまでやっちまうとは思わなかったよ。よっぽど溜まってたんだな、よっぽど」
「あははは……はは、うふふ……ふふふふ」
「あのオッサン、やばいかもしれねえぜ。オマエときたら、ただ殴るだけじゃなく、エリ首つかんで、地面にアタマをがしがし叩きつけたりもしてたからなぁ」
「く、くっ。あはは、ははは……」
「ふだんおとなしいオマエの中にも、あれだけのもんが詰まってたんだと思ったら、オレも何だか妙に安心しちゃったよ」
 ボクはもう路に転がって、ぐるぐるばたばたしながら笑ってた。こんな爽快感、初めてだ。もう全部がキレイになった気がした。そう、全部が。もうまるごと、全部が! だ。
「おかげでオレも、思い切りがついた」
 そう言ってアイツは、タバコをぽんと投げ棄てた。ボクの目の前だ。そしてアイツはボクに、ペットボトルを渡してくれた。ボクは地面に寝っ転がったままひーひーいいながらそれを受け取り、今し方アイツが投げ棄てたタバコに水をかけた。
 途端にボクは、横腹にひどい痛みを感じて、うう、ってうめきながら身をよじった。
「う、う……? うう!?」
 ボクはアイツを見上げた。立とうとしたけど、立てない。おなか全体が痛い、爪先までがしびれてる。苦しい。
 無防備になってるボクの、今度は腹の真ん中に、アイツのかかとが落ちてきた。
 めり、っとヤな音がした。今度こそボクは、身をよじることもできなくなっていた。
「うお、ホントだ! こいつぁたまらねえ。そうか、こういうことか……」
 アイツは言いながら、目をギラギラさせてた。
「なあ、わかるだろ? わかるはずだ。オマエなら絶対、わかってくれるはずなんだ。
 絶対に許せないことが、あるんだよ。オレにも。オレ、タバコに水かけるヤツ、大嫌いなんだ。もうマジで。
 でもそんなの、おかしいだろ? だから今までずっと、ガマンしてた。だけどそれじゃダメなんだな。ヤらなきゃいけない。ヤらなきゃならないんだ。
 薄々、勘づいてた。だからあのオッサンを見つけたりもしたんだけどな……。
 ありがとう。ありがとうよ。ああ……気分がいいぜ。なんだか、全部がキレイになった感じだ……」
 そしてアイツは、どこから出したのか、ごついレンチを振り上げた。

 アイツが駆け足で去っていくのが見える。
 ボクはもう動けない。
 背中がじわじわ生温かくなっていく。肩の方から、腰の方へと。
 音が遠くなって、景色の色が失われていく。覚えのある、あの感じだ。理由はわかってる。でももうアタマを低くしても無駄だ。こぼれてくだけだ。
 ボクは、別にアイツが憎いとか、こんな目に遭わされて悔しいとか、そういうことはぜんぜん思ってなかった。いや、むしろアイツには感謝してるかもしれない。だってボクは、それでも最後にスッキリできたんだから。
 それに、悪いことしちゃったかな、とも思ってた。だってボクは、友達のアイツの前で、友達なのに、アイツが一番ムカつくことを、ずうっとやり続けてたんだからね。
 ただ、アイツに言いたかったことが、ひとつだけ……ある。
 アイツは、ボクに、それを言うヒマを、くれなかった。それが残念といえば、残念だ。
 ねえ憶えてる? トシのこと。
 ほら、学校で同じクラスだったやつさ。
 トシは、まだアイツが学校にいる頃、アイツが考え事しながら耳の後ろを掻くたびに、アイツのことにらんでた。
 それだけは絶対に許せない、って顔で、アイツを、見てた……、んだ……、
 そういえば、トシにも……何か……クセがあったような気が……するよ。
 誰が……誰かがきっと、トシをすごい目で……見て、るんじゃ、ないかな。
 そして……その、誰かも、別の……誰か……に……

(了)