かどいの『I'm in Rock!-Ⅱ』

ある文筆業者(分泌業者ではない)の生存証明。基本的に毎日更新。

魔少女・由衣 闇狩り【#3】追う者たち〔1〕-01

(承前)

 赤い回転燈を載せた車が、何台もその家の前に停まっていた。
 門前の道路には黄と黒に毒々しく色分けされたテープが張られ、周囲に集まってきた人々の侵入を阻んでいる。そのテープの内外を、冴えない色の制服を着た何人もの男たちが、ひっきりなしに動き回っている。
 門柱の表札には、“天宮”とあった。
「はい、どいてどいて。道、開けてッ」
 制服の男が、野次馬たちの輪を外側からかきわけて、テープへと進んでいった。その後ろに、二人の私服の男たちがついて来ている。
 一人は、がっちりとした体格の中年。
 もう一人は、妙に細長い印象のある長身の若者だった。
 二人は、今しがた着いた白い車から、揃って降りてきた。
 中年は、飾りけのない白いシャツに、これもまた洒落っけのない細いネクタイを締め、片腕にはいい加減くたびれた灰色の薄っぺらな上着をぶら下げていた。
 年齢にしては決して背の低い方ではないのだろうが、一緒にいる若者と並ぶと、体型の極端な違いも手伝って、いささかならず短躯に見えてしまう。だが、その居住まいに、うらぶれたものや弱さを感じさせるものは、かけらもない。投げやりにくすんだ服装はむしろ、横溢するエネルギーを少しでも目立たせないためのカモフラージュとして機能しているのかもしれない。
 一方若者は、この騒然とした場所にはどうにも不釣り合いな、見るからに高価そうで品のよい茶色のスリーピースを、初夏だというのに几帳面にぴっちりと着込んでいた。第一ボタンまで止められた柄物シャツの喉元は、今風に趣味のいいネクタイで律儀に飾られている。前の開いた上着から覗くベストの腹辺りにぷらりと垂れた真鍮色の細鎖は、懐中時計のものらしい。
 堂々とした中年とは対照的に、背を少し丸めた姿勢には、意味もなく周囲に詫びているような風情があった。ぎっちりしたスーツがさほど暑苦しくは見えないのも、彼自身のどこか一歩退いた態度によるのだろう。
 テープをくぐる間際、中年が若者に声をかけた。
「おい。なにビビッてやがるンだ。現場は初めてじゃあねぇンだろう?」
 太く低い、芯に一本の筋の通った声だ。その声に、若者はびくんと全身を震わせた。その拍子に若者の、肩にかかる程度の長さのある真っ直ぐな黒髪が、ふわりと揺れた。
 青年の、フレームレスの眼鏡をかけた顔には、着ているスーツと素直に馴染む上品な印象がある。肌の色は白皙という形容が似合うものだったが、今のその色は尋常ではない白さになっていた。薄くかたちの良い唇も血の気を失い、病人じみた色に乾いている。
「いや、その……」
 答えた声までが、喉を何かで締めつけられてでもいるように甲高く、がさがさとしている。どうもひどく緊張しているらしい。
「まったく情けねぇ話だよ、現場にビビるたあな。だから俺は、学校出たてのボンボンと組むなんざぁイヤだって言ったんだよ。ところが課長の野郎、何事も経験だ、誰だって最初はシロウトだとか抜かしやがる。俺に言わせりゃあ、シロウトは死ぬまでシロウトなんだ。経験ってのはな、活かせる奴と活かせねえ奴ってのがあるもんなんだよ。
 それにしたってまったく情けねえぜ、この俺が、まだこの齢で若造のお守り役たぁな」
 中年が、若者をぎろりと睨みつけて言った。
 彼の顔だちは、体格に負けずがっちりしていた。特に太い眉とその下の大きな目には、人を射竦める野卑な力強さがある。短めに刈り込まれた髪にはだいぶ白いものも目立っているが、浅黒い肌は、彼がまだまだ十分に現役であることの証明のようだ。
「はあ……」
 その強面に睨まれ、罵倒されても、若者は表情を歪めるでもない。ただ生返事を返し、これから入ろうとする家の玄関を、ひたすら強張った表情で見つめていた。
 中年が、「けっ」と呟いた。
「使えねえなあ、もう。この調子で、どンだけ検分が勤まるやら」
 中年は、周囲で動き回る制服たちに鷹揚な挨拶をしながら、大股でのっしのっしと庭に入ってゆく。若者が、慌てて後を追った。
「ご苦労さまです。失礼ですが……?」
 玄関に控えて、出入りする者のチェックをしている若い制服が問う。中年は、スーツの内ポケットから黒い革製のケースを取り出し、開いて、中のバッジを前に突き出しながら言った。
中屋敷竜造(なかやしき・りゅうぞう)だ。諸君らの署の要請により、本庁から来た。それからこっちが新人りの、ってぇよりは見習いの……」
「も、森沢です。森沢修司です、よろしく」
 敬礼を返す制服に、森沢はぺこりとお辞儀をした。その後頭部を中屋敷は、分厚いてのひらでばこんと叩いた。
「何が“よろしく”だ、阿呆。俺たちゃ物売りじゃあねえんだぞっ」
「あっ、すみません、つい、その」
「もうちっと気ィ引き締めろっ」
「あっあっ、すみませんっ」
 中屋敷は、詫びまくる森沢には振り向きもせず、玄関で靴を脱いで、すでにあちこちが青いビニールシートで覆われた家の中へとずんずん入ってゆく。森沢は、慌てて靴を脱ぎ散らかし、その後を追っていった。

「こいつぁ……聞いてたより、よっぽどひでえやな」
 居間に入った中屋敷は、太い眉の寄った眉間をしかめて、咳払いをひとつ、した。
 森沢は庭の片隅に連れていかれ、うずくまって「うぅ、うー」と呻いている。
 それはあまりにも凄惨な現場だった。死体はすでに運び去られていたが、居間の絨毯にしみ込んだ血の量は半端ではない。板張りの廊下にも血痕が、ペンキを含ませた箒で塗りたくったようにべったりと貼りついている。
 検分を終えた血痕に被せられる保護のビニールシートは、すでに足の踏み場もないほどあちこちに広げられていた。それでもなお作業は、まだ半ばといったところに見える。
 残りの作業を片づけるために、家の中には何人もの制服たちが忙しく往来し、黙々と作業を続けていた。
「通報は、隣人からって聞いたが」
 中屋敷は、彼ら二人を出迎えた、これも制服の鑑識官に訊ねた。
 鑑識官は、中屋敷より少し年上に見える、優しげな顔だちの男だった。だが今はその顔に、かなり険しい表情が浮かんでいる。
「そうです。隣の奥さん……杉本美華というんですが、彼女がここ数日、この家の奥さん……天宮縁が、ゴミ出しに出て来ないことを気にしてまして。旅行にでも行ったのか、それにしては季節外れだなどと思っている間に異臭が感じられるようになり、庭越しに居間の窓を覗いたらこの有り様がわずかに見えたので、即時通報したとのことです」
「玄関から入ったりはしなかったんか、杉本の奥さんは」
「玄関の扉は施錠されていましたよ。私たちがこじ開けて、入りました」
「……ふぅん。犯人はずいぶんと律儀なんだな。するってえとアレかな。そこいらの道路やら側溝やらを浚ったら、出るかもしれんな鍵が」
「先ほど手配しました。もうそろそろ、ウチの署の若い者が始めている頃合いです。もっとも、二階の一室の窓が開いていましたから、そこから逃亡した可能性の方が大きいですね」
「なんでぇつまらねえ、窓から遁ズラかい。で、仏さんの状態はどうだった」
「とんでもない有り様ですよ。天宮壮一、この家の主人ですが、これはおそらく外傷性のショック死でしょうね。全身が傷だらけでした。
 縁は背中に、手斧かナタか、とにかくよほど質量のある刃物ででもやられたような抉れ傷が三つ。こっちは失血死ってところでしょう。
 最悪なのが、息子の隆。いったい何をされたのか、体が真っ二つに裂けてます。背中から、はらわたまで出ちゃってましたよ。
 どのホトケも、何分この季節ですんで傷みが酷くて……詳しいところは解剖待ちですね」
「死亡推定時刻、いや、日は」
「ざっとの所見では、二〜三日以上一週間以内、という程度しか。これもやはり、解剖待ちってところです。あと、これだけの騒ぎなら、杉本や近所の家で音を聞いた者があるかもしれませんので、こっちの刑事が今、聞き込みに回っているところです」
「この家の人間は全部で三人か」
「いえ。娘の由衣ってのがいるはずなんですが、これは死体が見当たりません」
「生きてて事件のことを知っててくれりゃあ万々歳だが、まあ、あり得ねえだろうなあ」
「でしょうねえ」
「由衣っての、齢は幾つだ」
「十七歳。高校二年生です」
「なら、犯人に連れ去られて、さんざ弄ばれた挙げ句に、コレ……か」
 中屋敷は“コレ”と言いながら、片手で自分の首を締める仕種をした。すると鑑識官は、
「コレかもしれませんよ」
 と腕をもぐ仕種をした。
「違ぇねえ。こんだけ凄惨なことをやらかす連中だからな。由衣も、とんでもなく不幸な目に遭ってるこったろうよ……」
 言ってから中屋敷は、薄い唇をへの字に結んで瞼を閉じ、最前自分の首を締めた手で、現場へ合掌代わりの手刀を手向けた。

(続く)