かどいの『I'm in Rock!-Ⅱ』

ある文筆業者(分泌業者ではない)の生存証明。基本的に毎日更新。

『ウルトラマンネクサス』を今さら考える−01

 四歳六か月になったこどもに初めて“怪獣”を見せたのは、一昨年の十月のこと。ちょうど二年前だ。
 コーヒーを飲もうとした時、彼が俺のために選んでくれたカップに、可愛らしくデフォルメされた怪獣の図柄がプリントされていた。彼の中のなにか本能的なものが、父にはこれが似合うと判断したものらしい。
 それでふと「これは怪獣っていうんだが、怪獣、見たことあるかな?」と訊ねたら、「かいじゅう、しらない」と言う。じゃあ見てみようとDVDを出し、初代『ウルトラマン』第8話『怪獣無法地帯』を見てもらった。もちろんレッドキング対チャンドラーの決戦が始まるところからだ。
 これで彼はすっかり怪獣の虜になり、以後熱烈な円谷フォロアーとなる。
 並行して『仮面ライダー』も見せたのだが(もちろん一号からだ)、どうもこちらにはあまり興味がもてなかったらしい。一時は首に赤いバンダナを巻くほどの執着も見せたが、結局は怪獣へ戻った。(これには別の事情もありそうだが割愛する)

 初めのうちは俺の“教育方針”により、初代『ウルトラマン』中心の“お勉強”になった。
 が、初めて彼のために買った怪獣ソフトビニール人形、おもちゃ売り場で彼が自ら選んだものが、超古代竜メルバと根源破滅天使ゾグ(第二形態)だったため、俺自身が平成以降のシリーズの“お勉強”を始めることになる。こどもが選んだ怪獣の素性も知らないようでは、いっしょに怪獣を語れないからな。
 勉強は系統立てておこなうのが効率的だ。というわけでまずは『ウルトラマンティガ』から。
 これでひっくり返った。
 ティガ、名作だ。大名作だ。はっきりいってジャック(『帰ってきたウルトラマン』)以降の昭和第二期全部が要らないぐらいだ。
 設定は厭味にならないレベルで緻密だし、“戦隊”の設定もいい。隊員の全員が魅力的で、ちゃんと“おとな”だ。なによりダイゴ隊員=ウルトラマンティガ(演/長野 博 これはもう絶品!)の真摯な姿には感動した。
 ドラマ全体のトーンとしてはセブン寄りで、ダイゴがダイゴの人格をずっと維持している点もセブン的だが、“戦隊”が有能であることについては初代的であり、また“戦隊”自体が怪獣の存在と駆逐を大前提とした“専門家”ではないところはQ的ともいえる。いわば昭和第一期を経験した制作陣が、自分たちの理想とするウルトラマンを組み立てた感じ。まさしく過去のよいところ取りをして、(当時の)現在を絶妙なバランスで組み込んだ傑作だった。
 最終回間際のダイゴとレナ隊員(演/吉本多香美)のやりとりなどは、セブンでのダンとアンヌのやりとりを踏まえた上で、さらに深く掘り下げているし、のちのウルトラシリーズに引き継がれる“光”の解釈に至っては圧倒的ですらある。クトゥルーの導入も慧眼。確かにウルトラ世界とクトゥルー神話体系は相性がよい。これも平成ウルトラの土台になった着眼といえる。

 次にコンプリートしたのは、いっこ飛ばして『ウルトラマンガイア』で、これも大つきの傑作と知る。初期からふたりのウルトラマンが登場し相剋しつつ物語が進むという展開は、おおいに新鮮だった。
“戦隊”はさらに深みを増して、シリーズ全体を見通した時には群像劇の味わいも感じさせてくれる。主人公・高山我夢(演/吉岡毅志 このひとの少し鼻にかかった問いかけの「え?」は音だけで聞くと漫才のボケみたいでおもしろい)たち「アルケミー・スターズ」の設定を含め、地球規模のイベントを実感させてくれる構築が素晴らしい。それまでは、地球防衛軍の下部組織云々の設定があっても、その全体像にまるで具体性がなかった。いやティガにはあったが、あれは防衛組織じゃなかったからなあ。だがガイアのG.U.A.R.D.には、なぜそんな大規模な防衛組織が創設されたかの理由も含めて、テレビシリーズとしては隙のないレベルの存在感があった。
 根源破滅招来体の暗躍の一方で、もうひとりのウルトラマン、アグルになる藤宮博也(演/高野八誠 このひとはのちに『仮面ライダー龍騎』で手塚海之=仮面ライダーライア、『仮面ライダー THE FIRST』『THE NEXT』で一文字隼人を演じることになる。昭和の二大ヒーローをひとりでやっちゃったのだな)による、人間ダメ論も展開される。
 この辺には平井和正の一連の作品に通じるものがあり、おおいにおもしろかった。そういえば『幻魔大戦』にも「光のネットワーク」なんてことばが出てきていたっけな。幻魔もまた(ややチープな印象はあるが)旧支配者的ではあった。

 そしていっこ戻り、『ウルトラマンダイナ』へ。
 ダイナについては、事前に「こども向け」という情報を得ていた。なので、あまり期待していない部分があった。それにウルトラマンになるのが、のちにテレビのバラエティ番組などで愛すべきおばかぶりを披露してくれた つるの剛士であり(なぜかそういう活躍は俺でも知っているのだ)、その辺が緊張感を削いでいた部分もある。
 が、フタを開けてみれば、これがまた名作だった。
 最初は確かに眉間にシワが寄った。“戦隊”隊長のヒビキ・ゴウスケ(演/木之元亮 俺の世代ではロッキーといった方が通じやすい)は無駄にアツい印象だったし、各隊員も誇張された個性が強く、『ウルトラマンA』のTACのような迷走を予感させた。が、回を重ねるごとにそれぞれの個性はよいところへ収まってゆき、ことに隊長のアツさは第26話『移動要塞クラーコフ浮上せず!(後編)』や第41話『ぼくたちの地球が見たい』で、ものの見事に昇華することになる。41話でゴンドウ参謀を一喝する迫力は、延々と積み上げてきた熱さがあってこそ説得力を備えるのだ。あれには本当にやられた。
 主人公のアスカ・シンもイイ感じに熱血で、確かにおばかな感じはあるものの、それゆえのまっすぐさが活きた。
 設定はティガのストレートな続編でありつつ、世界観は一転して極陽性。まるで1950年代SFのような科学と未来への無条件の肯定と期待が、いっそ心地よかった。初代ウルトラマンにも通じる“どピーカン”な空気は、なるほど つるの的かもしれない。

 さて俗に「平成三部作」ともいわれるらしいウルトラメンを見通してかなり満腹になった頃合いに、リアルタイムでは『ウルトラマンギンガS』が進んでいる。これをちらりと見たら、どうもそれ以降のウルトラメンもチェックしなければならないらしいと気づいた。おとーさんがんばらないと息子のリアルについてゆけません。
 じゃあ次は、と調べると、今度は「ハイコンセプト・シリーズ」なる四部作があるらしい。すなわち『ウルトラマンコスモス』『ウルトラマンネクサス』『ウルトラマンマックス』『ウルトラマンメビウス』だ。
 こうなってくるともうなんでももってきやがれという気分になる。
 で、まずは順当にコスモスに挑んだのだが、これが合わない。徹底的に合わない。俺の趣味じゃない。それでもとにかくDVDを八枚消化し、その時点でようやく気づく。
 これ物語として破綻しているじゃあないか。
 いったいどういうつもりで作り始め、どういうつもりで作り続けたかは知らないが、そもそもウルトラシリーズの外せないはずの見せ場は、怪獣とウルトラマンの格闘だ。セブンはそれをおおいに端折ったため名作になった部分があるが、あれは例外中の例外。というか、個人的にはセブンはウルトラシリーズではない。これはほめ言葉。
 だがコスモスでの怪獣愛は格闘とはまったくかみ合わない。

 その辺の矛盾には、制作陣も“慈愛の戦士”なるキャッチをつけた時点で気づいていたのだろう。それをクリアするつもりでか、カオスヘッダーなる存在を考案、導入。これが憑依(感染)することで怪獣が狂暴化するという設定が基本に組み込まれている。コスモスには、それを抽出・分離させる能力が付与された。
 だが。
 だったら格闘はいらないだろう。
 むしろ格闘は憑依された怪獣本にんの肉体を痛めつけることにしかならないわけで、分離させられるならいきなりさせろという話になる。いったいどこの世界に、手術前の患者にパンチ入れる医者がいるというのか。ん。呪術医ならやるかもしれないな。するってえとナニか。ウルトラマンコスモス狐憑きを剥がす祈祷師か。
 そもそもウルトラマンにはかったるい段取りが多い。光線技で決着をつけるなら、最初からやれ。これについて金城哲夫は「あれは説得の一環」という意見を提示したそうだが、コスモスのようにそもそも外来の要素が怪獣を操っているなら、説得もなにもあったもんではない。どこの医者が病原菌に説得を……。

 んん。ネクサスの話をしたいのに、全然ネクサスへたどりつかない。
 でもいい加減いっぱい書いたから、今日はここまででやめとく。
 久々にまとまったものを書いたから、疲れたよ。


※関連ログ※
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