かどいの『I'm in Rock!-Ⅱ』

ある文筆業者(分泌業者ではない)の生存証明。基本的に毎日更新。

映画『ワイルド7』観てきた【② シナリオ】

 事前のインフォメーションで、ラスボスは日本の全国民の情報を握り、自由に扱える男……と知っていたので(公式HPより。先行して、マンガ化作品も雑誌に掲載されていたらしいけれど、そちらは未見)、「こりゃ秘熊ばりの巨悪か!?」と期待してたんですが、それは見事に裏切られました。
 ラスボス、小物すぎ。
 秘熊どころか、せいぜい松田乱風レベル。やってる悪事も小せえ小せえ。未然に防げたはずの犯罪についての情報を操作して既遂とさせ、そのタイムラグで株の売買やって私腹を肥やしてたって? せこいよそれ。ちょーせこい。(まあ劇中でも草波が小物と断言しちゃってますけどw)
 そしてラストは、退治の一弾で語られるのではなく、イメージとしては『首にロープ』のラストに近い。それも少々、消化不良。確かに、一発の銃弾で黙らせるのではなく、相応の恐怖を強いた上での退治というぐらいの処罰は必要だろうけれど、なんか肝心なところで手を汚さない、みたいな印象が先に立っちゃってねえ。
 ラストの展開も少々ならず寂しい。
 大道具さんががんばって、けっこうカッコいい敵陣中枢部セットを作ったのに、それがあんまり活きてなかったのね。なぜかというと、そのセットが結局は飛葉・草波・桐生(=ラスボス)の3人にしか使われなかったから。そこでもひと騒動起こしてほしかったんだよなあ。結局はコンピュータ制御の銃がぱちぱち鳴っただけでおしまいとはねえ。



 各キャラに、せっかく細かい設定をつくっておきながら、それが本編に活きなかった点も、小粒な印象に結びついてます。(もっとも、細かい設定をいちいち説明するようなつくりになっていたら、それはそれで激しく小粒なんですけどね)
 たとえば、天才詐欺師だというソックスが、せいぜい両方裏側のイカサマコインを投げるくらいの役にしか立ってないって、どうなのよ。なんかもう少し、詐欺師ってポジションをうまく使えなかったの? と。
 詐欺師といえばアタマの回転は早いはず。草波を凌駕するぐらいの回転で、一気に事件の全容を読み切るぐらいの見せ場をつくってくれたりしてもよかったのではないかと思うわけです。ポジション的には、原作の八百に相当するキャラなんだろうから、「おれのカンでは草波隊長はうらぎったことになるぜ」ってな台詞があってもいいでしょう。そうしたら、「あぁ、ワイルドって乱暴なだけじゃないんだ」ってのもアピールできたと思うんだけどなあ。そしてそれは、ワイルドの底知れなさをきっと表現したはず。



 ユキと飛葉の絡みは、いいんじゃないかな、と思いました。
 原作が過去の少年マンガであったゆえの恨み、肉感的な描写はあっても性的な描写になってはならない、という制約から解き放たれたら、こういう関係もアリだろう、という。また、生きる目的・気力を失っている飛葉が、ユキにその焦点を見出すことで改めて生き始める、という流れも、別の問題(後述)を敢えて無視すれば、必然ともいえるものです。それはやはり、ひとつの重要なファクターだと思います。
 セカイと新聞記者こずえの絡みは、どーでもいいかな。まあ、セカイというキャラクターに焦点を与えるには必要なシチュエーションではあったのでしょうが、そもそもセカイに焦点を与える必要があったのか、というw
 ともあれ、ユキと飛葉の微妙な愛情については、大いにアリだと思いました。



 惜しいなあ、と思ったのは、メンバー間の繋がりの表現。
 いい場面はいくつかあるんですよ。全然バラバラに聞こえるメンバー間の相談を、B.B.Q.がさくっとまとめて聞き取って、その席にいなかったヘボピーに、正反対とも思えることばで伝えるとことか。
 それってつまり、仲間うちの微妙な言い方のクセを互いに理解してて、その要点だけをすくいあげたってわけで、これはメンバーの絆をよく表現してた。
 でも全体に、抑えすぎかなあ、と。
 クサくなるのを懸念して、極力抑えたものにしたのでしょうけれども、いやいや、そこはクサくていいのよ。女の子が見たら「?」と思うような、あるいは笑いだすようなクサさがあっていいんです、ワイルドにとっての絆の描写は。
 だから、成沢検事がそう言うだろうと思って草波に携帯電話を渡し、また覚悟の上で殴られる場面とかは、すげえ良かったんですよね。あれぐらいのクサさが必要。実は一番泣けるシーンだと思う、あそこはw 成沢と草波、おっさんの間に熱い炎の心意気が見えましたよマジで。



 ツッコミ不足といえば、新聞記者の件。
 実は今回、ワイルドを追う新聞記者が出るって聞いて、「おおぅ」と思って期待してたんですよね。
 原作でも「なおワイルド7についての記事は一切なかった」みたいなネームはあって、まあそりゃそうだろうな、と思いながら読んでたんですが、でも同時に、それってどうなのよ、という疑問もあったわけで。
 そう、ひとの口に戸は建てられないし、情報は必ずどこかで漏れてゆく。ツイッターもニコ動もある現代では、なおさらのこと(実際そのシチュエーションは、映画の中でもしっかり使われていましたし)。それと、秘密の処刑警察との両立を、どうなし遂げるか。そこは大きなテーマになるよな、と。
 たとえば平井和正氏が、マンガ原作『デスハンター』で挑んで失敗し、小説『幻魔大戦』でリベンジを試みるもそもそも幻魔自体が頓挫して結局実現できなかったのは、まさに情報・報道機関やその向こうに控える大衆と、その常識を超えたものや状態とが、どう絡み得るのかの模索あるいは創作でした。ワイルドもある意味、超越的な設定ですから、それが“普通”の社会とどう折り合いをつけるかってのは、大問題になるわけです。そして実際、今回の映画を作る上でも、それはかなり重視されていたと思うんです。
 そこに新聞記者が登場っつったら、期待しちゃいますがな。
 でも結局それは、セカイの背景をつくるためだけに使われていたわけで、これはとってもガッカリくん。



 普通に詰めが甘いところもあります。
 政府も転覆するような情報を握る男、桐生。その桐生の、おそらく最重要情報のひとつ(だと思いたい。それが唯一の切り札だったりしたら、それにおびえる政府ってあまりにもセコすぎる)を、草波がさくっと抽出し、全世界に公表しちゃうとかさ。
 よほど事前に調べてたって、そんな重要データ、どのフォルダにどう保管されてるかなんてのは、けっこう時間かけなきゃ読み出せなくね? 思わず昭和の外人になってしまって「チョト待テクダサーイ、ソレ、アリマセンカ?」と尋ねたくなってしまうw
 そういうとこはやはり、小粒なんですよね。



 あれ? 気がつくと難癖ばっかつけてる気がしないでもないぞ。
 おかしいなあ。もっと褒めるはずだったんだけどな。
 自分、この作品はかなり楽しんだんですから。
 いやホントに。